「やはり、瑞兆なのでしょうね」
今にも眠りに落ちそうな気怠い安堵と、べつに寂しくもない、ただひたすらぽっかりとした虚無感のなかで、木戸は夢うつつにつぶやく。はい? とやはり眠そうな声で大久保が答えた。
「こうして麒麟が現れたということはですよ」
仰向けで端正に寝ている大久保に、木戸は背を向けるかたちで体を丸め、さっき大久保にもらった文鎮を弄んでいた。闇のなかでも、今ははっきりとその造作が見える。木戸の体の中で、自在に肉を穿ち、悦びの音色をかきならした、冷たい青銅の肢体。
「それは、」
大久保が頭をこちらに向けた気配がする。
「聖天子の御代ですから。そうかもしれません」
「なるほど」
美しく毛彫されたたてがみを撫でながら、木戸は微笑んだ。
「しかし麒麟というものは、これを害したりすると、凶変をもたらすのだそうですね」
首をめぐらし、眼のはしでゆっくりと大久保をふりかえった。大久保は黙ってこちらを見ている。
「さっきの、あれ」
紅い舌で唇を湿して笑った。思い出すだけで体の奥が疼く。
「あれは麒麟を傷つけたことになるのでしょうか」
「さあ……」
ぼんやりと答える声は、まどろみかけている人のそれなのに、大久保の顔はどことなく神妙で、その滑稽さに木戸はまた笑う。それから、両手で麒麟の体をくるんで、
「なりは派手がましいが、麒麟というのはなかなか性柔弱な獣らしいですよ。虫や草木すら憐れんで、その蹄で踏むことをいやがるんだそうです」
草も踏めないようじゃあんまりお気の毒といいますか、どうも馬鹿らしいようですが、しかしだからといってこれを侮って傷つけたりすれば、ずいぶん祟るのですからね。厄介じゃありませんか。
ねえ? と体を反転させて大久保に向き合う。大久保は厄介だともそうでないともいわず、ただ、
「麒麟が、お好きですか?」
と眠たげに訊いた。
「ええ」
呑み込んでものみこんでも、くすくすと笑いがわきおこる。酷使したあとの体で、すこし苦しく感じながら木戸は言った。
「ですから、今度の洋行にも、きっとこれを携えてまいります」
「そうですか」
茫洋としてみせかけた眼の奥で、大久保が笑う。その冷えびえした光に自分の姿を映しだして、木戸は吐精前のように体をこわばらせた。
(ああ、たまらない――――)
動かない麒麟をかたく握りしめて、大久保に知られないよう、その恍惚感をやりすごした。
今度の洋行では――洋行中か、洋行の結果か、それも直接に起因するか間接的にかはわからないが、かならず何事かがおきる。それが吉凶いずれとも、今はまだこの国の誰にもわからないが……――。
(西欧にも、麒麟がいるかな)
ひそかなおののきが去ったあとの、ぼうっと霞がかった頭で、木戸はそんなことを思った。
「おやすみなさい」
という大久保の声が遠くに、しかし脳裡の渺茫とした景色とはどこまでも調和せずに、かすかなえぐみをもって聞こえていた。
[19回]
PR