俺のところへ来たって、ためになる話なんかありゃしないよ。
政治向きのことはそうそう人に喋れたもんじゃない。これでもまァ、いろいろあるのさ。それなりにね。
何、昔語り……それも大概話してしまったろう。この間も君のところの新聞に載せたじゃないか。あんなものさ。あれで全部だよ。目新しい話なんかない。
そうじゃないって? 肩の凝らない話をしろというのか。そう言われたって、こっちは現に肩の凝る仕事ばかりしているんだからな。芸者の話でもしてもいいが、また変な風刺画でも書かれちゃたまらんからな。
最近君のとこで描いてるポンチ絵師は、あれはなかなか巧いじゃないか。うん。つい最近井上が出ていたな。よく似ていたが、あの男にも、たまには花か、俺のように芸者の袖でも持たせてやれよ。いつも俺には札束ばかり握らせよるっていうんで、はは、おかんむりだったぞ。
……なんだ、案外に君もしつこいな。上役に嫌われているだろう。うん? 追従を言ってまで出世したくないというのか。そりゃ君、さては俺にあてこすったな。ふふん、いいさ。そう、かつては幇間だのなんだの言われたがね。天地に向かって恥じるところはないつもりだ。
たしかに、これは人物だと思った相手には取り入ってきた。しかし権門の余慶を享けようというのじゃない。あくまで志のためだ。したい仕事のできるところへ行く。だから自分の技量を認めさすための工作は張ったが、胡麻を摺ったことはないよ。そんなもので誤魔化されるような人間は、大抵仕事のほうもだめだからね。逆にいえば真にこれはという人には、おべっかなんぞ通じないものさ。
使っても無駄なものをいくら工夫したってしょうがないからね、つまらんおべっかは、俺はやらなかったよ。
本当だ。
おや、何だか君に乗せられてつい要らんおしゃべりをしてしまったな。
おいおい、書き留めるんじゃないよ。何が後学のためだ。いいか、こんな話を記事にするんじゃないぞ。なかなか油断がならんな君は。
何、そういう、人物と器量についての話をもっと聞かせろというのか。よせよせ、それこそ幇間の手に余る。君の知り合いに批評家をもって聞こえた弁者がいくらもいるだろう。ああいう連中にまかせておけばいいんだ。
俺は、いやだよ。
ええ?
それは誰の、いや何の話をさせるつもりなんだ。
……いったんは先達と仰いだ人が、かつての勢いを喪ったら……?
見くびってもらっちゃ困る。勢いなんてものは俺は断然度外視するよ。そりゃ政策を行なうに相当の位置を占めているのに越したことはないが……え? ああ、権勢という意味じゃないのか。かつての……実行力だとか、精彩? ……おいおい、君は――まあいい。何を訊きたがっているのかよくわかったさ。
君の言いたいのは、こうだ。
たとえば、師であり兄でありというようなただならぬ仲の先輩が、政見の不一致だの健康上の理由だのから時の政府に参画する意欲を沮喪したら、俺はもはやその先輩からうけた旧恩を顧みることなく、むしろ彼とは氷炭の間柄の実力者に阿って彼を棄て去るか、と訊きたいんだろう?
はは、そんな顔をしなくてもいい。もっと肝を太くしなけりゃ、ブン屋なんぞ務まらんだろう。
そうさなァ……棄てた――棄てたと世間が思っていることは知っているさ。
世間だけじゃない、俺の同輩中にもそう思った者はいただろう。だがあの人は……、あのひとはどう思っていたんだろうなァ。そんな話をしたことがないから、わからないな。
何だね。君は俺のことを根っからのお調子者で鉄面皮だと思っているだろう。ははは、いいさ、困らせるつもりじゃない。答えなくていいさ、判っているつもりだ。
そうなんだ、実際俺はどうもこう、毀誉褒貶に恬淡としているなんて言ったら恰好よく聞こえるが、恥とか名とかいうことに関して、鈍感らしい。武士じゃないからだろうなんて陰口をきく奴もあるが、そうかもしれん。受けた恥は雪がなければ生きておられぬという情(こころ)は、どうも起こらない。知らぬふりをしておればいいではないかと……
おや、変な顔をしているな。納得いかんか。君も士族だな。そうだろう。
いや、君はそれで、それはそれでいいんだ。間違っちゃいない。その気概を大事にすることだ。からかって言ってるんじゃないぞ。名を惜しむ、そのためには命も要らぬという覚悟は、尊いものさ。
だが俺には天性それが欠けているんだから仕方ない。うん。仕方ないのさ。
話が逸れたな。ええと、そう、いかにも俺はお調子者の鉄面皮だが、人の目にどう映るかはともかく、自ら省みて後ろめたいような気がすることは、いくらもあるのさ。そりゃあそうだろう。
だから、君の訊きたがっていることがもし俺が悔恨を感じているか否かということなら、半ばは然り、だろうか。
いや、わからないな。
わからないさ。間違っていたとは思っていないんだ。しかし、そうだな……悲しいと思っている。
悲しいよ。俺はあの人の価値――価値なんて言ってはいけないだろうか。しかしとにかくそんなものが、彼の後半生で減じたとは少しも思わない。あの人は最後まで一流の志士で、一流の政治家だったよ。
僕はあの人のもとを離れて別の人に附いたが、そっちの人にしたところで、世間がいうほど僕を深く囲い込んだわけじゃない。あくまで僕を能吏と――こういっては自惚れになるが、まァいいだろう、能吏とみて使っただけのことで、いわば上役と小役人さ。同志じゃないんだ。
もちろん、相当よくしてはもらったが、あの人に附いていた頃のような――なんというか、情が通ったという感じはなかったな。むしろ、あれさ。僕があの人と旧いのを見込んで、何かというと中央から抜け出したがるあの人に無遠慮な重りを仕掛けるのを、僕に期待していたのさ。大概その役は果たしたがね。
ただ、あの人はいつも不服そうだった。
気の毒に思わないでもなかったが、堪えてもらうしかなかった。それはあの人も承知していたはずだ。
僕は、どちらも中興の基をなすのに不可欠の人物と思っていた。
どちらも、それは立派だったよ。今の官員には想像もつくまい。立派だったんだ。
僕はどちらのことも畏れていたし、それだけにどちらも面倒臭かった。うん? そりゃ当然さ。上長が煙ったいのはいつだって、誰だって同じことだ。
だから僕は――なんだかますますわからなくなったきたな。僕は……誰を裏切ったつもりもない。愧じてもいない。けれど悲しいんだ。あの人は、悲しんでいたからね。
それは僕の去就についてじゃない。もっと深い、未だに僕にはわからないようなかなしみを、ひとりで何だかこう、しんしんと自分に刻んでいた。あの姿は、何とも言えないな。あの人を知る者にしかわからんよ。寂寥なんていうんじゃない。いっそ凄まじかった。
いつから、ああなったのだったかな。僕が側にいる頃から、そしていなくなっても一緒だった。僕は――ああ、止そう。
ずいぶんくだらない繰言を垂れてしまったな。俺も年をとったよ。君の聞きたいような話は何もなかったろう。
はは、むやみに年寄に話しかけたりするからだ。ジジイの昔話ほど厄介なものはないからな。これに懲りてしばらくは大人しく議会批判でも書いていることだ。
何だね、馬鹿言っちゃいけない。ためになんぞなるもんか。君はもしもの話……と言ったじゃないか。だから俺ももしもの話をしてみたまでだ。ただの法螺だ。忘れなさい。
書いちゃいかんよ。いいか、決して書いたりするなよ。絶対にだ。記事にしたりしたら、俺も君らの好かない藩閥の徒だ、元老だ。君のいる新聞社ひとつくらい……わかるだろう。
おや、怒らないのか。今のは君らのいう、官権の不当行使なのに。
……ふん、いっぱしの口を利くじゃないか。
何でもいい。書かずに、君の胸ひとつにしまっておいてくれれば。
しかし君は、なかなか面白い男だな。今にいい仕事をするかもしれん。だがまァあんまり上役に好かれていないようじゃ、そのうちおん出されないともかぎらんか。ははは、おい、こういうときは何か言い返すもんだぜ。
それにしても記事が書けなくっちゃ困るだろう。大隈のところにでも行くといい。あの男は昔のこともよく知っているし、喜んで話すだろう。
井上? 井上はだめだろう。あいつをネタに君らが何か書こうと思ったら、大官と財界を覆う黒い霧……なんて話になってしまう。先生また湯気を吹くぞ、ははははは。
え? いやもう止そうじゃないか。さっきのことはみんな君の空耳だ。あの人? さて、誰だろうな。年寄はすぐ忘れるもんさ。どうだったって、何だね。どう――思っていたかって、何だそりゃ。
……そうそう、そうしなさい。早く帰らないとまた上役にどやされるぞ。さあさあ。
ああ、大隈には話を通しておこう。必要なら、あとで紹介状をやるよ。うん、何構わんさ。
ああ。精勤しなさい。ああ。
……………。
………―――――
馬鹿馬鹿しい。
若僧め、そんなことを僕が答えると思ったのか。
誰に語るものか。
誰にわかるものか。
僕にだってわかりはしない。
言葉にすればすべて空虚だ。
だからきっと、これもひどい嘘にちがいない。
そうでなければ、こんなことがいえるわけがないのだ。
あの果敢ない凄絶さにおびえて、あんなにも冷淡で、あんなにも酷薄だった僕が今更何を乞おうというのか。
ああ、もう誰も聞いてはいないけれど、それでも僕はいいたくない。
そんな卑怯な僕の言葉を、僕の耳で聞きたくない。
嗚呼!
愛して、いたのだ。なんて。
[36回]
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