汗ばんだ体の上をずるりと滑っていった布団の感触に、浅い眠りをやぶられた。頭上には、見慣れぬ天井がひろがっている。白じら明けの薄あかりのなかで、井上は目をほそめてそれを見た。
なぜ、ここにいるのか。ゆうべ何があったのか。考えをめぐらすまでもない。全身を浸している心地よい疲労は、そのまま数刻前のできごとの余韻だった。そして、となりに横たわる体のぬくもり。
木戸は布団を抱えたまま寝返りを打ったらしい。井上から奪われた分も、白い褥は肩まですっぽりと、木戸の肌を覆っている。その綿の下に、さっきの交歓の痕が無数に散っているはずだった。
顔を覗き込むと、口がわずかに開いていて、その紅い闇の奥からしずかな寝息が洩れていた。端整な顔の、しかし少しだらしのないその表情が、いやに井上の官能をくすぐった。
(唇が……)
いつもより腫れぼったいようだ、と井上は思った。ゆうべ何度も激しく吸い上げ、時に噛みついた薄い皮膚は、おかげでふっくらと腫れあがっているようだった。
手を伸ばして、枕元の水差しをとる。喉が渇いているのかどうか……あれほど激しく求め、汗をかいたあとだからかわいていそうなものだが、自分ではよくわからなかった。ただ、木戸の寝顔を見ているうちにたまらなく焦れったくなり、その疼きのもっていきどころに困って、そばにあった水差しをつかんだにすぎない。
盃に注いだ水を、ぐっとひといきに仰ぐ。口の端からこぼれた一筋が、顎から喉へ伝う。その感触にすら、よみがえるゆうべの感興。
(すげえ……)
ぐしゃりと頭をかいた。静寂のなかでひとり起きていると、耳の奥に液体のように絡みついた木戸の声が、鼓膜をたぶらかして再生される。
『聞多、もう……』
あんな声で啼くとはしらなかった。
『あぁ……深い……』
あんな声に、これほど昂る自分だとは思わなかった。
京阪への出張から帰るはずの木戸を、井上は箱根で待ちぶせた。東京で待っているつもりだったが、我慢、我慢と自分に言い聞かせているところへ、京都から書いた木戸の手紙が届いた。手紙の内容自体はごく事務的な案件にすぎなかったが、あざやかな墨のあとを眺めていたらもうたまらなくなった。
「関所役人をしてた連中が、まだあのへんでぶらぶらしてるだろう。彰義隊くずれが落ちのびたとかいう話もあるし、どうも剣呑だ」
俺が視察してくるわ、条公にはお前の代筆で適当に言っといてくれ。伊藤にそう頼んだら、漢方のセンブリでも飲まされたような顔をしていた。
「木戸さん、だろう?」
「察しがよくてけっこうだ」
「本気なのか」
「帰ってきたらとくと聞かせちゃるわ」
「いらん」
第一生きて帰れたものかわからんしな。そうなってくれればありがたいとでもいわんばかりに、伊藤は皮肉った。
(なるほど)
井上は苦笑した。
(つい舞い上がった)
まさか殺されはすまいが、いきなり抱かせろの何のと男が言い寄ったら、あたたかい応対はされないだろう。政務上のことがあるから絶交にはならないと思うが、相当に距離をおかれる可能性はある。
(いわぬが花、か)
しかし井上はもう決めてしまった。きめたらあとは迷わないのが、彼の身上である。
(秘めたところで仕方がない)
泣かぬ蛍が何とやら式のしおらしい思慕は、彼にはできなかった。欲しいものは欲しい。子供のような身勝手な情熱が、彼をつき動かしていた。拒まれたら拒まれたときのことである。まず初手を打ってみないことには、次の手は出せない。
井上はひとり駕籠を飛ばして、箱根へ下った。
木戸の宿所はすぐにわかった。
箱根の宿場町も、御一新以来さびれがちである。身なりのいい武家風の男、といって人相風体を説明してやると、街道の飯盛女はすぐに心得て、旅籠の名を教えてくれた。
「お客さんも官員様?」
「まあな」
「ふうん」
と、女は紅を濃く塗った唇をとがらせた。
「ねえ、天朝様は世直しをしてくださるってえ話だったけど、あたしどもはどうも、御公儀がつぶれなすって商売あがったりですよ。何とかならないんですか」
ぐい、と尻を寄せてくる。
「俺に言ったってだめさ」
井上は楊枝を使いながら首を振った。
「俺は吹けば飛ぶような木っ端役人だからねえ。そういう話は、そうさな、俺が探してる仁にするのがいいや」
「なあんだ」
「何なら、直訴状でも書いてみるがいい。先生、無下にはしないぜ」
そういってからかうと、意地悪ねえ、と手の甲をつねられた。
「そういうのは四角い字でむつかしいことを書くんでしょう。あたしにそんな学があるわけないじゃありませんか」
ね、それよりさ、と女は井上の顔を覗き込んだ。
「その、お役人様ですか、いい男なんでしょう」
「よく知ってるな」
「向かいのお茶屋のおかみさんが見たんですって。いいわねえ。今夜はここらの芸者でもお呼びかしら。あたしもさあ、もうちっと芸でもできりゃ、お側に侍ることもあったかもしれないのにねえ。ね、お客さん、お知り合いなら、そのあたりちょっと何とか、できないもんですか」
「ああ?」
井上は楊枝を抛り捨てた。
「そりゃお前、無理だ」
「どうしてですよう」
「あの人は今夜は女は呼ばねえよ」
「どうして?」
「今日はな、俺が、あの人を抱くんだよ」
にいっと、口角を削りあげるようにして井上は笑った。もともと険のあるその顔に、いっそ凶悪なほどの凄味をたたえて、その表情はさすがに女を不気味がらせたらしい。
「や……やあねえ」
こわばった笑いをうかべる。
「怖いか?」
訊いてやると、戸惑った顔で目を泳がせた。井上は少しの間にやにやしながらその表情を見ていたが、やがて女の手を引くと、肉(しし)おきのゆたかなその体を、畳の上に転がした。
このおなじ宿場のなかに、木戸が泊まっている。今夜、自分は木戸に会う。旅の宿には、自分たちのほかに、いつもの友人や家人は誰もいない。その、井上にとって過熱しきった状況のなかで、素性のさだかでない飯盛女などを相手に、今夜木戸を抱くと宣言した。むろん女はわるい冗談だと思っているだろうが、井上はその自分の言葉に、それを吐き、自分の耳で聞いた瞬間、ぐらりと血が沸きたつほど興奮したのである。矢も盾もたまらなくなったが、手の届くところにはこの女しかいない。ままよ、と女を性急に組み敷いた。
「旦那ぁ」
女は放埒に乱れ、声をあげる。感極まった女の洩らす法悦の声が井上は好きだったが、今日ばかりはその甲高い響きがうるさくてやりきれず、とうとう女の口を掌で塞いで、あとは貪るように下肢を絡ませた。
「立てない」
ことが終わったあと、女はうれしそうに溜息をついた。
「いい。寝ていろ」
井上は身支度をすると、女の手に幾ばくかの金を握らせた。
「旦那、すごいのね」
「そうか」
「これで陥ちない女はいないわよ」
「そうか」
東京へお帰りになる前にまた寄ってくださいな。背中を追いかけてきた声にかるく手を挙げて答えた。可愛い女だ。が、二度とは会うまい。
(陥ちない女はいない……か)
男はどうだろうなあ、と、ようよう暮れかけてきた空を見上げて、井上は苦笑いした。
「なんだ。大変だなあ」
急に訪ねてきた井上に驚きながら、よろこんで部屋に請じ入れた木戸は、急な出張できたという井上の口上にかるい歎声をあげた。
「そのくらいの用事なら、帰りがてら俺が足したのに。おまえも苦労なことだな」
「ま、御用ですからね」
つとめておだやかに笑う。さっき一度慾を散じたおかげで、すこしは落ち着いて話ができた。それでも本当のところは今すぐにでもとびかかって犯したい。
(俊輔には、じっくり口説くとか言ったんだっけな)
井上の暴走を心配する――というより今度の一件についてはもはやこちらの頭の中身を疑っているふしすらある伊藤に、先日そう約束したのだった。
しかし、
(こいつはちょっと、無理じゃねえか)
果たしていつまで保つか。さっきから木戸の声、仕草、行灯のあかりにゆれる鬢の毛や睫毛の影に、どうしようもなく熱をあおられている。
(ああ、この人にくらべれば)
と、さっきの飯盛女との情交を思い出して、自嘲するおもいですらある。
(つまらんのを喰ったことだ)
渇いた旅人には、やはり水をあたえねばなるまい。たとえば銭をくれてやったところで、彼の気持のいくばくかは充たされても、結局渇きが癒えることはないのだ。
今、どうしても自分は木戸が欲しい。しかしそれを、当の木戸にどうして訴えたらよいものか。尻の下を火で焙られながら、なおそこに堪えて座っていなければならないような苦悶の時に、これがこのまま続けばひょっとして自分は気が狂うのではないかと思った。
ところが、
「、っ……」
奇妙な音声が木戸の唇から洩れた。目尻を下げ、肩をふるわせている。噴き出したらしい。
「聞多、お前、」
「はい?」
目を白黒させていると、にゅっと木戸が指をつきだした。
「そこ」
「は?」
襟元を指さされた。
「ついてるぞ」
「は?」
「紅」
「えっ」
あわてて指された場所を見てみると、たしかにべったりと、襟のところに紅がついている。
「そっちも」
木戸が顎をしゃくる。手でさぐってみると、首にもそれらしい感触があった。
「ああ……」
「お前、精勤ぶって、何が『御用ですから』だ。愉しそうで何よりだよ」
「いや、これは」
「しかし、俺とそう変わらんくせに、お前は若いな。まだ宵の口じゃあないか」
「はあ、どうも……」
すみません、と、何に詫びているのかよくわからないが、もごもごと口にした。
ひとしきり笑ったあと、
「お前、もしかして路銀が心許ないのじゃないか」
木戸は意外なことを口にした。
「はあ?」
「その紅」
と、井上の手を見た。さっきの紅をぬぐって、ぐしゃぐしゃに丸めた懐紙が握られている。
「紅、が……?」
「ずいぶん安い紅じゃないか。そのへんの茶屋女でも買っただろう。廓へ上がる金がないのか?」
「いや、そうでもないですが」
この人は、と井上はつくづくあきれて肩を落とした。
(なんで紅のよしあしなんか、見ただけでわかるんだよ)
遊興がすぎるといって、いつも自分や伊藤ばかり叱られている。が、あんたはどうなんだあんたは。俺は、いや俊輔だって、見ただけで紅の価なんかわからねえよ。どれだけ遊んだらその境地においであそばすんだよ。
「金が要るなら言えよ。いくらかは融通してやれるから」
木戸はいたって親切げな温顔でそう言う。
(うるせえこのスケコマシ)
「木戸さん」
「うん?」
「俺はね」
と、井上は笑いもせずに言った。
「俺は、女が好きです」
木戸がまた噴き出す。
「そ、そうだな」
「あのね、乳だの尻だの、あの柔らかさは嘘みたいでしょう。これが同じ人間かと思う。野郎のケツなんざ、かたいばっかりで、おまけになんだかざらざらしてやがるし」
「ざらざら、なあ」
それはお前がちゃんと垢を擦ってないんじゃないか、と木戸が要らぬ半畳を入れる。いいんですよなんだって、と井上はかるく舌打ちした。
「とにかく女の体は至極けっこうなもんです。耶蘇じゃ造物主だなんていって、神が人間をふくめてあらゆるものをつくったことになってやがるらしいが、それが本当なら耶蘇の神さんはとんだ助平ですよ。で、その助平神の思し召したとおり、まんまと俺は女体の妙趣にとりつかれたわけです」
「それで?」
木戸は多少気おくれしたらしい顔つきをしながら、それでもまだけろけろと笑っている。
「男の体なんて、つまらんです。街道を半裸で駆けてる飛脚にも、菰でもかぶせてやりたいぐらいだ。男の乳だの尻だのなんてね……」
「それはさっき聞いたよ」
「ですがね」
井上は深く息を吸った。くら、と視界がかすむ。ぎゅっと大きく瞬きして、木戸の姿を、もう一度網膜にとらえなおした。
「俺はどうもあんたのことは抱きたくてたまらない」
木戸は表情を変えなかった。しばらく井上を見つめたのち、ふと下を向いて、袴の皺をひとつ伸ばしたのだけが、彼の動作だった。
それから、
「……は?」
とわずかに首をかしげた。まるでたった今井上がなにごとかを囁き、その声が小さすぎて聞き取れなかったとでもいうように。
「いや、だから」
「俺を?」
「聞こえてんじゃねえか」
「俺の体も柔らかくはないと思うがな」
若い頃より肉がゆるんじゃいるが、まさか女のようじゃないぞ。庭木の枝ぶりでも語るように、いたって暢気に木戸は言った。
「そりゃそうでしょうよ。そんなことはわかってますよ。わかってるんだが、だからまあ俺も実際自分でどうかと思うんだが、俺のこの愚息があんたを所望してきかないんだから、親父としてはもう、この際愚息の願いを叶えてやりたい気になったのよ」
自分のそこを指さすと、木戸も「ふうん」と首をのばして眺めた。まだ勃ちあがっていないそれの位置は、正確にはわからないだろうが。
「それはまた、酔狂な御令息で」
「その酔狂の相手をしてやるのも一功徳だとは思いませんか」
「なんとか親父殿からなだめてやれないのか」
「無理ですな」
俺だってね、あんたを見て愚息が呻りだしたときは、これはもういよいよ俺も終わりだなと思ったんですよ。女と見まごう美少年、てならまだしも、あんた少年じゃないし。可愛くもないし。これはいかんと思って、どうにかこの迷いを振り払おうとずいぶんじたばたしてみたが、どうにもならなかった。
まあするってえと要するに、と、井上は開きなおった口調で言った。
「迷いじゃないってことでしょう」
「さっぱりわけがわからないが、結論のとこだけ明快だな」
「それが聞多先生のいいところで」
「何にしたって、もう少し色っぽい口説き方ができないのか」
「そのつもりで気取って迫ったところで、あんたは笑うだろ」
「まあ、役者の問題だな」
「俺は三枚目ですか」
「お前と俊輔で弥次喜多でもやれば当たるんじゃないか」
「ひでえなあ……」
井上は溜息をつき、がっくりと項垂れた。三枚目。三枚目か。俊輔と弥次喜多とまでいわれては、もうどうしようもない。正攻法で堂々拝み倒せば、木戸のことだ、あるいは聞いてくれるかもしれないと思っていたが、やはりこればかりはほかのこととは違ったのだろう。
無理強いはしない。それは相手が女でも男でもかわらない、井上なりの情事のきめごとだった。わが事畢わる、と、そんな言葉がうかんだ。
あとをどう取り繕うべきか、考える智恵も今は萎んでいた。俯いて、畳の目を見ている。すこし、毛羽立っていた。俺は、ねえ、とつい恨み言が唇を滑り出る。
「俺はこれでもねえ、今日ばかりは菊五郎のつもりで乗り込んだんですよ」
「それはお笑いだな」
「まあねえ、でもあんたがそうして笑い飛ばしてくれるならそれでいいや」
それが木戸の精一杯のやさしさというものかもしれない。井上は顔をあげた。
「そんじゃまあしょうがないが、これからも、どうかあんまり邪険にしないでくださいよ」
いまさら未練かもしれないが、それだけは念を押しておきたかった。
(やっぱり、無謀だったか)
それみろ、となじる伊藤の顔が思い浮かぶ。その痛みを逃すために深呼吸をひとつすると、潔く腰をあげた。
「それじゃどうも、お邪魔しました」
「なんだ、帰るのか」
木戸が意外そうな声をあげた。
「だってまさか、今の今で、このままいられないでしょう」
そのくらいは格好つけさせてくださいよ、というつもりだったが、木戸は微笑をうかべたまま首をかしげた。
「抱かないのか?」
「だ……っ!?」
井上は目を剥いた。
「抱かせてくれるんですか?」
「おまえから言ったくせに」
「言ったけど……」
「俺は女じゃない。菊五郎になんぞのぼせたりしないさ」
井上が呆気にとられていると、木戸は立って次の間の襖を開け、自ら羽織を脱ぎ捨て、袴の紐を解いた。それから井上を振り返って手をさしのべ、
「乱暴はするなよ」
それを見た瞬間、体をはしった電流で脊髄が焼き切れるかとおもったほどの、凄艶な笑みをむけた。
井上は、男どうしの勝手はわからない。木戸の望むままに愛撫し、乞われるまま突き入れた。木戸は、彼なりに好きな角度があるらしく、自分で腰を動かして、井上を誘導する。その背のしなるさま、切なそうに顰められた眉、額にほつれかかる髪のひと筋までもが、夢のような、しかし慄えるほどの情痴の靄をまとって、その靄につつまれている井上を、ひと揺れごとに熱くさせる。こんな体を、この人は衣服の下に匿していたのか。
「ん、あ、あ……」
淫猥な声が洩れるたびに、井上を受け容れている粘膜がひくつき、うれしげに締め上げてくる。
「あんた、初めてじゃないだろう」
頼めばあっさり体を開いたこと、そしてこの反応の好さ。内壁を擦りあげながら井上が問いかけると、ふ、と爛れた笑みを洩らした。
「男相手に水揚げなんかしたかったのか」
「いや、べつに……」
そうじゃないけど、と口ごもる井上を、ぎゅっと奥で締めつけて、
「なあ、知ってるか」
誘うように紅い舌を見せつけて言った。
「陰間の初物なんてのはな、いただくほうも痛いばかりで、少しもよくはないものだぜ」
「なんで……そんなこと知って、るんだよ……っ」
「初めてのときに、そういわれたんだ」
もうずいぶん昔の話だけどな。木戸の笑みに、感傷に似た一種の潤みの膜がかかるのを、井上は熱でぼやける視界のなかにみとめた。
「きつすぎて、痛いわけだ……?」
「そうらしいな」
「そう、か」
そうなのか、それじゃあ、と、ほとんど無意識に井上はつぶやいた。
「それじゃあんたのほうは、よほどつらかったろう」
瞬間、体の下で息をのんだような気配があり、木戸の顔からさっきまでのみだらな笑いが消えていた。中をゆさぶられながら、目をまるくして井上を見ている。
「どうしたんです」
「いや……」
と、首に腕が巻きつき、上体を引き寄せられた。肩の上に、木戸が頭を載せてくる。顔が、見えなくなった。
「なあ、聞多」
「ん?」
「おまえにこうされるのは、とても好きだ」
「そうか」
「うん。すごく、いい」
「俺も」
と、脚を高く抱え上げ、角度をかえて深く貫く。
「ああ……っ!」
「俺もいい。たまらねえ」
「聞多、そこ、そこが……っ」
「きついなあ」
「あ、……ん、い、痛い……か?」
「馬鹿云いなさんな。そりゃ昔の話なんだろう?」
俺ァよすぎてどうかなりそうだ。木戸の耳朶を甘噛みしながら、低い声でささやいた。
(もう、それで最後、どうなったんだっけな)
井上は床の中で肘をつき、水差しを片手でもてあそびながら、ゆうべの記憶をたどっている。
ひどいことはしなかったと思う。が、年甲斐もなく夢中になりすぎて、途中から何をどうしたものか、まるで覚えていない。最後の瞬間をどうやって迎えたかも思い出せないことが、ひどくもったいないことをした気がして悔やまれた。
(あー……)
木戸は無心に眠っているだけなのに、その寝顔を見ているだけで、下肢に熱があつまってしまう。
(これから参朝したらどうしよう、俺)
胸のわだかまりを消すために抱いたつもりが、一度手に入れてみるとますます欲しくなった。顔を見ているだけでこれでは、この先廟堂で会うときどうすればいいのか。
しかしそれも、そうなったときのことである。
「ま、いいやいいや」
ひとりごちると、こちらに背を向けて寝ている木戸の体を仰向けに返し、腰のあたりに跨った。じり、と眉根が寄せられ、木戸が目をあける。
「……朝、だな」
障子から洩れる白い光に目を細めた。声がかすれているのは、寝起きのせいばかりではあるまい。
「そうですな。おはようございます」
「……重いんだが」
「男ですから」
「当たってるぞ」
井上の腰を顎で指す。
「男ですから」
にやりと笑ってみせると、木戸は顔をしかめ、井上を乗せたまま半身を起こした。
「今日東京に帰るんだ」
「明日でいいでしょ」
「よくない。今日までの日程で届けてある」
「風邪引いちゃったからごめんね、って一筆書いて出しとけば、三条さんならゆるしてくれますよ」
「お前の頭がお風邪だろ。条公を何だと思ってる」
「つれないですねえ」
手を伸ばして、木戸の髪を撫でる。
「何もなかったみたいな態度は、あんまりじゃないですか」
「何もなくて男どうしひとつ布団で目覚めるか」
「ま、そうですな」
と、一度木戸の上から退いた。重石がなくなって、体を完全に起こそうとした木戸の腰をすばやくとらえる。
「おい、」
「何もなくてこうはこらないもんなあ」
つぷ、と木戸のそこへ指を突き立てた。
「……っ」
「あーあ、どろどろ」
「おまえがし……っ、た、んだろ」
ぐるりと指を回す。そこはゆうべ井上が放ったもので濡れたままになっていた。ふと、尋ねた。
「中はやっぱり、つらいですか」
本当は井上も外に出したほうがいいかとは、最中に考えていた。だが実際その時を迎える頃には凄まじい快感で、木戸を気遣う余裕などなかった。
「このままにしておくと、後がな」
そう言って木戸は、情慾が滴るような艶めかしい顔で笑った。
「はじめはよせと言うつもりだったんだが……あのときはもう、死ぬかと思ったからな。死ぬのなら中でも外でも一緒だと思ったんだ」
「そういうこと言うから俺に襲われるんですよ、あんた」
ぐっ、と、ゆうべ見つけた木戸の弱い場所を押し上げる。木戸の唇から、熱い溜息がこぼれた。
「聞多、」
「なんです」
「風邪じゃなくて暑気中りだ。夏風邪をひくほど俺はおめでたくない」
井上はいよいよにっと頬をゆがませた。下肢の熱が、今にも弾けそうに滾っている。
「暑気中りね。東京に帰ってから仮病だと思われないように、せいぜいぐったりさせなきゃいかんわな」
木戸が言いかえす暇をあたえず、深く口づける。そのまま脚をひらかせて繋がると、喉の奥で高く啼いた。
木戸の中はやわらかく井上になじみ、しかし腰を打ちつけるたびに攣えるように締まる。
(これは、はまるな……)
東京へ帰っても、今日のように抱かせてくれるだろうか。知合いが多い分、気をつけねばならないことはふえるだろう。それでも、
(この体を知って我慢ができるほど、俺はジジイじゃないからな)
不都合があれば伊藤にでも何とかしてもらおう。調子よくひとり合点をきめると、井上はいよいよ全身で肉の愉しみに耽りはじめた。
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