夜道を帰る途中、一度川へ入った。
体じゅうから、男たちの淫慾の臭いがしている。一度洗い清めておかなければ、とうてい家の敷居は跨げぬと思った。
川岸の岩の上に立って、そろそろと衣を剥ぎおとす。肌を覆うものが一枚減るごとに夜気が濃く体にせまって、それは寒いほどではないのだが、空気がじかに触れる感じに、嬲られていた最中のことを思い出して、小五郎は何度か身震いをした。
裸の臑を浸すと、流れの中に新たな波紋が生まれる。白くきらりと光るものが二、三散っていったのは、魚が逃げたのたろうか。
大崎と知りあうまでは、藩校の課業もそっちのけで毎日泳いでいた川である。浅瀬から淵へ、水底の石に足がもたつくこともなく、小五郎はしずかにすすんでいった。やがて臍のあたりまでの深さのところで立ち止まり、両手に水をすくった。
淡く空を漂っていた雲は、いつのまにか霽れたらしい。小五郎の両手の中に、白い月が揺れていた。
(ああ、天が)
ここにある、と思って、小五郎はさびしく微笑した。ただなにげなくそう思ったのだったが、そのいかにも子供らしい空想は、しかし、すぐにするどい悲しみに貫かれて、裂け散った。
かつて、そんな無邪気な夢を見たことがあった。
大崎と言葉を交えるようになって、少しずつ、ものを識るよろこびをおぼえはじめた頃。ひとりで訓み下せる本が増えるごとに、また、聖賢の語についての理解が深まるごとに、世界がひとつひとつ、自分の手におさまっていくような気がしていた。そうしていつかは、全きなにかをおさめることができるのだと思っていた。
――そう、きっとこんなふうに……――――
小五郎の目から涙が溢れて、ちいさな月にさざなみをたてる。ぎゅっとにぎりしめると、指のあいだから水はたちまちにこぼれ、砕けた月は水面に吸いこまれて消えた。
つめたい流れの上にはさっきも今もかわらずに、白い光が茫々と大きくまるくたゆたっていて、それは自分の決して手に入れられないものなのだと思った。
「どこへ行っていたのです」
家へ帰ると、ころがるようにして出てきた下女に呼ばれた母が、きびしい声でそう問い質した。
「友蔵を捜しにやろうかと思っていました。どうして遅くなったのかきちんとおっしゃい」
小五郎を式台に座らせて叱った声は、ぴしりとしたなかにも安堵と無限の愛情をたたえていて、それだけでもう、小五郎は母の膝にとりすがって泣きたい思いがした。
実際、昨日までならばそうできないこともなかった。けれど今日の小五郎はすでに、母のやわらかな膝に無心にふれることのできない体になってしまっていた。
こみあげてくるものをぐっと嚥みくだし、
「腹が痛みまして」
頭を下げたままで言った。
「河原で休んでいるうちに眠ってしまいました。ご心配をおかけしました」
帰ってくるみちみち、精いっぱいに考えたいいわけだった。言いきった瞬間、きゅっとしぼられるように胸がいたんだ。つまらない嘘ならこれまでにもついたことがあるが、今日のこの嘘は、おそらく自分が生涯で母になす不孝のうちでも、もっとも罪深いおこないだろうと思った。
母は、あるいはすこしくらいは不審に思ったものだろうか。わずかのあいだ眉をひそめてだまっていたが、やがて、
「そう」
溜息とともに微笑した。
「お腹は、まだ痛みますか」
「いいえ」
「でも顔色が悪いようです。父上にご挨拶したら、すぐにおやすみなさいね」
「はい」
「武士の子が正体もなく外で眠りこけるものではありませんよ」
それに、お前はすぐに熱を出すでしょう。
長く夜風にあたって風邪でもひいてはいまいかと、母が額に手をあてる。その手の繊(ほそ)さやわらかさ、何よりあたたかさに、小五郎は胸に甘酸っぱいものがひろがるのをおぼえた。が、同時に自分自身そのことを恐怖して、じっと身をかたくしていた。なんだかひどく、かなしかった。
「どうしたのです」
母が手を離した。
「え……」
「むずかしい顔をして。やっぱり痛むのですか」
「いいえ、でも、」
今日は早く寝みます。父上は奥においでですか。
わきあがってくる母への慕わしさと、しがみつきたくなる衝動が怖くて、小五郎はろくに母の顔も見ずに一礼すると、さっと立ち上がった。
歩くたびに、体の奥が――嬲られた場所が痛む。家へたどり着くまでは、帰らねばならない一心で支えてきたものが、帰ってきて母の顔を見たとたん、崩れてほどけてしまっていた。自分のなかのやわらかな、もろい部分をじかに串刺しにされているようで、その痛みは骨まで響くかとおもわれた。
父に帰宅の挨拶と、帰りが遅くなった詫びをのべているあいだに、母は奥に床をとってくれていた。白く清らかな被布におおわれた布団にくるまって、小五郎はふたたび泣いた。体がすぐれぬといった小五郎を気遣って、母の敷いてくれた布団は綿の厚いあたたかなものであったのに、その綿の隙間で自分のからだはどんどんつめたくなっていくような気がした。
それから二、三日のあいだ、小五郎は表に出ずにすごした。
気分のせいもあるが、やはり体のほうがおもわしくなかった。
腹が痛い、と母に言ったのは苦しまぎれのいいわけにすぎなかったのに、その晩おそくなって、本当に腹がわるくなった。それがどうやら男たちにかわるがわるそそがれたもののせいであるらしいと悟ったとき、小五郎は厠の戸のかげで顔をおおって泣いた。無論腹を下したのはいっときの変化にすぎないのだが、そのときの小五郎にはとてもそうとは思えず、あの暴行で自分はまったくちがったからだに――ちがう人間になってしまったのだと思った。それまでは淡い予感にすぎなかったその思いを、小五郎は腹の痛みとともに、縊られるようにして実感したのである。
あるいはだからこそ、体の傷が癒えてすぐに、小五郎はふたたび藩校へかよいはじめたのかもしれなかった。
(いつまで休んでいてもしかたがない)
そう思ったのは積極的な克己の意志などではなく、深いあきらめというものだった。
どうせもう、もとには戻れぬ体なのだと思った。
もはや二度と、あの淡くあたたかな時間が帰ることはない。あれほど早く過ぎ去れかしとねがっていた子供の時間というものが、どれだけ優しく甘く、美しいものであったか。小五郎は永遠にそれをうしなってはじめて気がついた。その喪失はあまりに突然で、しかも暴力的で、ふつうは徐々に手から砂がこぼれるようにして失くし、ゆっくりと目を醒まされてゆくものを、小五郎はまったく唐突にそれを奪われ、さびしい覚醒の庭のなかへひきずり出されてきたのだった。
無論、はじめ彼はそのことに狼狽した。そうして悲しんだ。が、それがもうどうしようもない、とりかえしのつかないことなのだと知ったとき、これからあとはただ、流されて生きようと思った。それは覚悟というようなものではない。覚悟ならむしろ、死ぬほうに腹をくくるという道もあったであろう。だが小五郎はいつも思案がそこまでさしかかると、ひどく優柔になった。
大崎が、いる。
久しぶりで藩校へ顔を出した日、いつかのように、大廊下で大崎とすれちがった。彼は小五郎の記憶にあるよりもやつれて、蒼い顔をしていた。そうして小五郎の姿をみとめると、おどろいたように目を見ひらいて、なにかいおうとした。
その唇が、かなしげに空気を噛む。わかっている。かつてならばともかく、今の小五郎にかける言葉を彼は知らないだろう。彼の住む世界に、男に抱かれた男とかわす挨拶など、あろうとも思われなかった。だから小五郎はしずかに目礼すると、そのまま目をふせて、彼の横を通りすぎた。それ以上の交わりは、この先二度と、彼とはもてないだろう。
だが、それでも。
大崎がまだ自分に語りかけようとしてくれたことに、小五郎は泣き出したいほどの安堵をおぼえていた。たとえそれが言葉にならなくとも、そしてなんとか言葉にしようとするのをああして小五郎が遮ったことで、今後二度とそのこころみを彼がしようと思わなくなったとしても。今日こうして気にかけてもらっただけで充分だと思った。
(何も望まない。だから――)
ときどきこうして大崎の姿を見られるだけでいい。すべてうしなった小五郎の、最後にそればかりは手放したくないものだった。それを守りつづけるために、あとのことはすべてあきらめて、無為に生きてもいいと思った。
芯に鋭く切ないものを秘めながら、なげやりともいえるその感情を飼いならして、小五郎の毎日は――その体は、汚穢の淵に沈んでいった。
あらがうまい、と思った。
いやだ、ひどいと感じることすら億劫だった。家にこもっていた数日を経て、また藩校に通うようになった彼を、ふたたびあの男たちがとり囲んだとき、小五郎はゆっくりとかれらの顔を眺めわたし、小さく溜息をついただけだった。
(やっぱりか……)
あれで終わらないような気はしていたのだ。あの夕、体をゆさぶられながら、そんな意味のことをささやかれたような記憶もある。
(どうでもいい)
すでにひび割れて裂けたまま固まった心は、もう新たな血を流すこともないだろう。男たちのいざなう先へ、小五郎はだまってしたがった。
「この間よりやわらかいな」
満足げに男が洩らす歎声も、無意味な雑音としか思われない。
「やわらかいが、締まる」
何を言われても傷つくことはない。ただ、囁かれる吐息の熱さに、すこしずつ体が火照ってゆく。
「早く替われよ」
小五郎を貫いている男を急かしてそう言った男は、小五郎の下腹に顔をうずめ、陰茎に吸いつく。肉の厚い舌が先端を犯し、ぬれた粘膜がねっとりと竿に絡む。
「あ……っ、ぅ、」
別の唇に乳首を吸われ、かれらの熱を逃がそうと開けた口には怒張した雄を捻じ込まれた。
「ん、ふぅ……、」
両脚を高く抱えあげて腰を打ちつけてくる男は、
「ここか?」
先夜小五郎自身も初めて知ったあの場所を擦りあげてくる。
「んぅ――――――!」
悲しくもないのに、涙がぼろぼろとこぼれた。体がぎしぎしと痛み、ひどい眩暈がする。繋がった粘膜、触れられている皮膚からひろがる熱に溶けてちぎれて、湯気がたちのぼるように自分が蒸散していく気がする。しかし最後の恍惚まではやはりたどりつけず、強すぎる感覚に小五郎はただ恐怖し、喘いだ。
「いいぞ、お前の中はいい」
「ほら、もっとしゃぶれ」
「脚を開け、もっと見せろ」
男たちは口ぐちに好きなことを言い、小五郎を嬲った。はじめは聞こえないふりをしていたそれらの言葉に、さからうのが億劫さにしだいに耳を藉し、ついには煽られていった。
(これは、きっと、)
快感なのだろう。そう思いながらも、まだ慣れることのできないその感覚に、小五郎は固く目をとじて身をよじり、首を振った。
「今によくなる」
と男たちは言った。
今に挿れられただけでそこがふるい立つようになる。突かれて悦び、精をそそがれて気をやる、男を咥えるための体に変わる、と。
今さらそのことに衝撃も悲痛も感じなかった。ただ、そうして体が慣れれば、この営みもすこしは楽になるだろうかと思った。
さからいもせず、ことさら憎いとも思わず、それがさだめられた課業であるかのように、小五郎は毎日のように犯された。
「ずいぶん、筋がよさそうだがなあ」
いかにも惜しいというふうに、かれらは言った。
「なかなか、こっちだけで降参するようにはならんなあ」
まあいい、じっくり仕込むさ、という言葉にも、もう小五郎はさして嫌悪もおぼえず、じっくりとはいつごろまでだろうか、とぼんやり考えたりした。
が、じっくりと言ったくせに、男たちは案外短気であった。
「お前がなかなかちゃんとした女にならないから、な」
首領格の男が、にたにたと腐った魚のような赤紫色の唇を湿してそう言ったのは、最初の陵辱からひと月と経たない頃であったろう。
しかし、そのひと月のあいだに、小五郎のからだと心はずいぶん変わった。「ちゃんとした女」の意味も、その頃にはすぐに察しがつくようになっていた。
要するに、男に穿たれる、結合部の刺戟だけでは小五郎がまだ遂情できないことが、かれらは不満だというのだろう。
(どっちでもいいじゃあないか)
口には出さないが、内心、ひどく馬鹿らしいと思っている。
いたわってもらったことなどない。そもそもが強姦されてはじまったことだった。かれらはいつでも二度か三度小五郎の中で達して終わるのだし、べつに小五郎が気をやろうがやるまいが、かれらの快楽にはかかわりのないことではないか。
が、尻を犯されて精を散らす小五郎をどうしても見たいという。つくづく度しがたい頭の連中だと思った。
それで、しおらしい顔のひとつもしてみせないのがいけなかったのだろうか。
「今日は、お前がもっと楽しめるようにしてやる」
いつもの土手へ連れていかれてそういわれたとき、小五郎は別段何の感慨もおぼえなかった。だが、
「おい――」
後ろを振りかえった男に促されて、彼の仲間たちが藪のなかから引きだしてきたものを見たとき、小五郎ははっと息を呑んで目頭が裂けるかと思うほどに瞠目し、膝をがくがくとわななかせた。
「大崎さん――」
男たちの腕がとらえているのは、以前よりずっとやつれた大崎の細い体だった。
「どうして、」
小五郎はするどく叫んだが、男たちはただにやにやと笑っている。
離せ、頼むから離してほしいと願い、そのように伝えたが、かれらは憎体にも聞こえないふりをしている。その太い、野卑な腕に押さえられて、大崎はいかにも繊弱に、哀れげに見えた。
(もう、終わったかと思っていたのに――)
小五郎がかれらに犯されて以来、連中が大崎にからんでいるのを見たことがなかった。標的が自分に変わったことで、かれらはもうすっかり大崎をいたぶるのをやめたのだと思っていた。
(せめて、それならば)
自分の体は引き裂かれても、大崎の安寧の前に瞑目しようと――瞑目しうると思ったのに。結局かれらがふたたび大崎を小突きまわすのならば、自分は犯されつづける痛みをどうして耐えたらよいのか。
冷たい汗に背を濡らし、肩で息をしている小五郎の前で、大崎はやっぱりなにもいわなかった。けれどうつむいて蒼い顔をしている彼の体もまた、はげしく慄えていた。
「今日は面白い趣向を用意してやったぞ」
唾液をすする音が聞こえるような口調で、男が笑いながら言う。それは、恐ろしい宣告だった。
「今日はまず、貴様等が二人で抱きあえばいい」
残りの男たちも、下卑た笑いをうかべている。
「俺たちが見ていてやる。せいぜい思いを遂げろ」
くっ、と空気が擦れ、ちいさく破裂した音がする。全身の血を凍らせて立ちつくしていた小五郎は、それが大崎の泣き声であることに気づくまでに、ややしばらくの時間を要した。
逃げられなかった。逃げれば大崎がどうなるかわからないと思ったし、それはおそらく彼のほうでも同じだったろう。
(私なら、何をされてもいい)
そう思ったのに、異様な緊張と悔しさに喉がつまって、とうとう声が出なかった。
(汚したくはないのに――)
すべてをあきらめた大崎が自分にふれるために近づいてくるのを、まともに見ていることができずにそっと目をふせながら、自分の浸っている汚辱の沼へ彼が一寸ずつ身を沈めてくることに、たまらない悲しみをおぼえた。そうしてその悲しみとは別の場所で、暗い稲妻のように、鋭く光る絶望が胸を切り裂いた。
(ああ、あさましい――)
自分の体を、小五郎は呪った。卑劣な嫌がらせの末に男とまぐわう羽目になった大崎の不幸をいたむ一方で、彼に抱かれることに、この体は昂ぶりをおぼえている。尊いもの、目ざましいものとして憧れた大崎であるのに、何よりその尊い資質を汚すことである自分との媾合を前に、それを悲しいと思う気持ちを裏切って、体はぼうっと情火を灯している。
彼に詫びたいと思った。何より、今からでも拒んで、彼を美しいまま逃がしてやりたいと思うのに、小五郎はそれでもやっぱり一声も発せず、体も動かなかった。それが事態の異常さへの衝撃のためなのか、自身の頽廃と卑怯のためなのか、小五郎にはよくわからなかった。
大崎は、まだ女を知らないだろう。
全部脱げ、着ていては貴様の着物が邪魔をして桂の体が見えぬといわれて、彼はぎこちない動作で自分の衣服を剥ぎ落としていった。慄えている姿をなるべく見ないように、小五郎もうつむいて袴を脱ぎ、帯を解いた。
「大崎、褌もだ。着けていてはできまい」
最後の一枚をためらっていた彼に、男たちの揶揄が浴びせられる。唇を噛みしめてそれにしたがった大崎は、いわれたとおりの作業を終えると、意識のどこかの部分を折られたように、ふらふらと膝をついた。
「おいおい、大丈夫か」
「しゃんとしろよ。これからいいことがあるんだからな」
男たちの目が、昂奮で赤く血走っている。そのぎらぎらと醜い光に彼を長く晒していたくなくて、小五郎は背中で大崎を隠すようにして彼の前にまわり、地面に突かれた手をとった。
大崎の肩がびくりとはねる。
「――大丈夫です」
小五郎はなるべくおだやかに、そうしてなんでもないことのように彼に囁いた。
「あなたは目を閉じていらしてもいいんです。すべて、私が――」
藩吏が事務をつたえるときのように抑揚なく言ったつもりだったのに、小五郎の声はどこか淫靡に湿っていた。そのことがひどく愧ずかしく、情なかった。
小五郎が腕を伸ばすと、大崎は身を硬くしていたが、それでもあらがうことはせず、抱きしめられるままになり、やがて引きよせるにまかせてゆったりと小五郎にかさなって倒れた。
大崎の肌が、温かい。
緊張のせいか彼の鼓動はひどく早く、折りかさなっている小五郎の胸を打った。首筋に唇を這わせ、背を撫でてやると、かすかに息をつめ、しかしこわばっていた体の筋が、しだいにやわらかくほぐれてゆく。
大崎の重みがくるしくて、小五郎は小さく喘ぐ。と、腹のあたりにあたる彼のそこが、熱をもって膨らみかけているのがわかった。
「大崎さん……?」
もし。
もしも。
彼にとってこの交わりが苦痛だけではないとしたら――……。
『懸想している』と男たちは言ったのだ。大崎が、自分に懸想していると。あのときはいわれた意味がよく――浄瑠璃本やなにかからの知識としては把握していても、なまの感覚として――わからず、したがって大崎がなぜ猛然とかれらの言葉をさえぎろうとしたのかも理解できなかった。ただ、彼に好かれているのなら嬉しいと思った。
(ああ、つまり)
素肌で大崎と抱き合って、小五郎は今ならそれがわかる。つまり、これだったのだ。こういう次元で、大崎は自分を好いてくれていたのだろう。しかしそれは男たちの慾情とはずいぶんちがう、つましくて、悲しい思いにちがいなかった。げんに大崎はついにそれを小五郎にうちあけようとはしなかったし、男たちによって暴露されたときにもあれほど怒り、いやがった。彼はその想いをみずからに禁じ、みずからのその部分を憎んだのだろう。
だとしたら。
今この瞬間、彼はどれほどやるせない、辛い、いうにいわれぬ思いをしていることだろう。彼がそうである以上、自分もまた――――
(思っては、いけないのだろうか)
嬉しい、と。
互いに強要され、男たちの嘲笑をうけて交わろうとしている。それはこの上もない辱めにはちがいないのだけれど、しかし、もしも大崎が本来自分にふれることを望んでいたのだとしたら――
嬉しいと、あのときとはちがう温度と濃まやかさとで、小五郎は感じていた。その感覚を自分に禁ずることは、彼とはちがって心弱い自分にはできそうもなかった。
「大崎さん」
涙がこぼれ、彼の肩に顔をうずめて、彼の肌でそれをぬぐった。男たちがなにか囃したてたが、ただそれは罵声として聞こえるばかりで、言葉の意味は意識のなかへ届かなかった。
耳許でささやき、彼の手をとり、媾合の準備へ導く。目をとじていていいと言ったのに、大崎は黒い美しい眼でじっと小五郎を見つめていた。甘い波にたゆたうかにおもえるその表情に、喉の奥がきゅうっとすぼまるように痛んだ。
ためらいがちに太腿にふれた手に、自分の手をかさねた。促されるより先に、自分から脚をひらいた。彼の慾望が、張りつめているのがわかる。たとえそれが、強引に高められたものだとしても。
(受けとめるのは、私だ)
男たちのことも、今までの苦しかったまぐわいのことも忘れた。ただ、彼と繋がりたかった。
まだ勝手ののみこめないらしい彼は、すでにひくついている小五郎のそこへ先端を押しあてると、これでいいのかと問うように、そっと顔をのぞきこんだ。それにこたえて、彼の腰を引きよせてやる。
「ん……っ、ふ、」
触れあった粘膜が熱い。やがて小五郎の熱は彼のそれに押し負け、じりじりとほころんで彼を受け入れる。ひとつになってゆくよろこびが血のなかで奔騰し、さらに肌を熱くした。
(ああ、入って……)
自分の中に、大崎が入ってくる。襞が男の圧力に撓められてめりこむような圧迫感も、臓腑を深く穿たれる不安も、彼と繋がっているというただ一点の――それはあまりにはかなく、頼りない事実ではあるのだが――ために、胸に滲みとおるようなよろこびにかわってゆく。かつて互いにそらしてしまった視線も、なにかの拍子にふれてはすぐ離れていった手も、今はすぐそばにある。鍵が嵌るようにぴったりとかさねあわされた体が、いつしか呼吸の拍子までそろえて、ひとしく胸を上下させている。
ずっと、待っていたと思った。
それほどかれらの体はよくなじんだ。
奥までおさめきって、大崎が深く息をつく。みっしりと充たされる感じが嬉しくて、彼の首に腕を巻きつけた。
体の奥を穿つ大崎の男は硬い。彼が、今このときだけは間違いなく自分を欲してくれている。それはたとえ男たちによる陵辱のうちだとしても、小五郎には大きなよろこびであった。
大崎が身を起こし、小五郎の腰を抱えて、ゆっくりと動きだす。前に男たちに探りあてられて、眩暈がするほど感じた場所は、あれは、どこだったろうか。「ここか」といわれたことも、今は幻だったような気がする。どこがどこだか、小五郎にはわからなかった。大崎とふれている場所も、ついにはふれられていない場所さえ、体じゅうすべてが溶けて弾けそうなほど気持がいい。
「あ、ぅん……っ、あぁ、」
大崎もまた、小五郎のなかでさらに存在感を増す。
彼に抱かれて嬉しい。彼がよろこびを得てくれて嬉しい。
――ああ、だけど。
粘膜が灼け焦げそうな悦楽の靄のなかで、しかし、小五郎はひどく寂しかった。
たしかに自分は、いつの頃からか、大崎と抱きあうことをのぞんでいたのかもしれない。けれど、それに気づかずにゆきすぎることもできたのではなかったか。あの淡いぬくもりの日々は、本来そのままずっとつづいてゆくべきものではなかったか。
大崎の低くやわらかな声が経書を読む。彼の達者な蹟(て)が詩篇をつくる。隣でそれをのぞきこんで、彼の才識にただあこがれる、そうして彼がはにかむ、あの透明な日々は、結局永遠にうしなわれたのだ。
男たちの陵辱のせいであるよりも、小五郎自身の情慾によって。
(帰れない……――)
その思いは、皮肉にもいっそう小五郎の劣情を煽りたて、うねり、潤った体は大崎の慾をさらにひきだした。
「はっ……、ぁ、」
互いにぎこちない動きで、相手の感覚をさぐるように腰を揺らす。こんなにも悲しいのに、こんなにも気持がいい。
「面白いぜ、こいつら」
男たちの一人が、ことさら大きな声をあげて言った。
「泣きながら腰を振っていやがる」
男が指をさし、あとの連中がどっと笑ったが、かれらの声はどこか癇性にひびわれて、虚勢をはっているように聞こえた。
(どうでもいい)
かれらにどう思われたところでかまわない。ただ、
(そうか、泣いて……)
自分が泣いていることも、大崎もまた泣いていることも、そこではじめて気がついた。しがみついていた腕をゆるめて彼の顔をのぞきこむと、彼は眉根を深く寄せ、瞳を曇らせる長い睫毛を濡らしていた。それは、骨をしぼられるような苦しい歎きの表情だった。
「大崎さん……」
唇を寄せ、彼の涙をそっと吸う。と、彼はゆっくりと目をあけて小五郎を見おろした。
(ああ、溶ける)
陶然とするといったような生やさしい感覚ではなく、あとかたもなく焼け崩れそうな烈しさで小五郎はそう思った。
今このとき、自分とおなじなげきを彼は生きている。押し殺した慟哭と、それでもやまぬ情火を宿して、彼の視線は小五郎にあてられている。その眼は、小五郎の知らない暗色のかがやきを帯びていた。
(どうしよう……)
自分のなげきのおきどころがない。彼のかなしみをどうしていいかわからない。苦痛が淫靡な翳りを醸して、小五郎の体はひとりでに彼を締めつける。その刺激に質量を増した彼が、潤んだ粘膜をますます強く擦る。
「あ、っん……、」
濡れた音が二人のあいだに響き、それはますます濃く重たくなる。奥の奥まで暴かれて、それでももっと貫かれたくてたまらない。
もう、自分たちは知ってしまったのだ。
互いにこうして繋がることを。
こういう求めあいかたがあることを。
彼の汗が、吐息が、何より繋がった部分の熱さが、小五郎を焼きつくしていく。痛いほどのぬくもりに胸が盈たされ、いきすぎた充溢感に背筋が疼くような不安が襲う。怖くて悲しくて、懐かしくて、小五郎は全身で彼にこたえた。
大崎の動きがしだいに早く、激しくなる。
「ん、ぁ、あ……」
小五郎のなかのどこか遠く、小暗く細い道のむこうで白い光が明滅する。それは命を焼くするどさをもつようでもあり、眠くなるように甘くやわらかなものにもおもえた。
大崎の呼吸が荒い。彼はもう目をあけていることが苦しいのか、白い眉間に皺をよせて、かたく瞼をとじていた。それがひどく気の毒におもえて、ふたたび彼の瞼に口づける。
と、
「桂君……」
大崎ははじめて声を発した。
その苦しげな、しかしあたたかな響きに、
「あ…………、」
大きすぎる波の避けどころがわからずに、まともにそれをかぶった小五郎は、そのまま溺れて死ぬのではないかと思った。彼の顔に頬を擦りよせ、折れそうなほどに背骨を撓ませる。
「ひ――――――」
それははじめてあじわう絶頂だった。びくびくと痙攣しながら精を吐き出す小五郎の中で、大崎もまた、激しく情を散らしていた。
[32回]
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