指定された部屋の前に膝を折った木戸は、行灯のそばに大きく蟠る男の影をみとめたとき、思わず声を洩らしそうになった。
(これは……)
どうしたことか、と思ったが、男が大きな体を乗り出し、手をとらんばかりにして鄭重に出迎えてくれるので、まさか首尾がちがっているとは言い出せない。仕方なく口辺にこわばった笑みをうかべて、こちらも慇懃に彼に挨拶する。
部屋の中へ招じ入れられながら、木戸は脳漿が汗をかきそうなほど考えめぐらして、この場をごまかして帰るすべをさがしていた。が、
(馬鹿な)
半分ほど障子が開けられた奥の間に、目にもあやな錦糸の縫取の布団が敷かれているのを見て、ほとんど愕然とした。
(では、小松さんは……)
間違えたのだ、と思った。
たしかにあの付け文を彼に託したとき、誰に、とははっきりいわなかった。しかし聡い小松のことだから察してくれると思っていたのだが……――。
「いけんしやったと」
男が――西郷が、その巨体をことさら小さく丸めるようにして木戸の顔をのぞきこむ。福々しい頬を血の色にかがやかし、太い眉を下げてにこにこしている。考えるさきに「いえ」と言ってしまっていた。
「今日はまことに無礼なお願いを――」
「うんにゃあ」
頬の肉が揺れるほど激しく首を振る。
「おいは、なんも……」
肩をすくめて小さな声で言うさまは、彼なりに照れているのか、ごく好意的に見てやれば可愛げがないでもない。
が、
(大久保でなければ意味がない)
そう思っている木戸には、少年のように頬を染めている西郷の姿はいまいましく、かすかに憎らしくさえあった。
「大丈夫でしょうな」
と国の者にいわれるたび、木戸は膳を蹴りあげて叫びだしたい思いがした。
(そんなことは俺が聞きたい)
これまで周旋の最前線にいて何度となく薩摩に煮え湯を飲まされ、誰より苦い経験をかさねたのも木戸なら、一度西郷に肩すかしされて恥をかき、国の結盟反対派から「それ見たことか」と後ろ指をさされたのも木戸である。すったもんだの末に先日ようようその同盟が成ったとはいえ、薩摩が違約しはすまいかと一番気を揉んでいるのはとうの木戸自身である。
「皇家のためではないか」
と、坂本などはそういうことばで慰めた。
ことは薩長二藩の利害ということを超えている、皇家のためである。されば向後もし薩摩が約を違えることがあれば、かれは朝敵である。朝敵ならばこれはもはや討ち果たすのほかはない。薩摩はよもやその愚をおかすまいし、よし犯したとして、そのときは長州も堂々とかれを討てばよいではないか。天下はかならず味方する。
(書生論だ)
と木戸は思ったが、坂本もそれは承知だろう。彼は彼なりに、そういう言葉で、木戸の疑いは杞憂だと言ったつもりなのだろう。
(杞憂なら杞憂でいいのだ)
坂本は木戸を苦労性だとからかうが、木戸はまた木戸で、少年のような坂本の楽天性が、ときにじれったくもある。
(甘い)
そこがほとんど一匹狼の浪士身分で世を押し渡っている坂本と、大藩の高級藩吏である木戸との違いであろう。
(万万が一の馬鹿らしいほどの危惧までしぬいて手を打っておくのが政事というものだ)
杞憂におわればそれでいいのだ。馬鹿な心配だったと笑う日のために、すべて徒労におわることを願って、八方細工をしておくのでなければ、それは仕事ではなく単に壮士の法螺というものである。
(だから――)
薩摩に違約せしめぬために、木戸は手を打った。盟約の条々を筆におこして、坂本の裏書をもとめたことはその一である。そうしておいてから、さらに考えた。悩んだといっていい。
(西郷については、坂本のいうとおりだろう)
木戸はそうみている。違約すればすなわち皇家の敵である、その愚を薩摩は犯すまいといった一件である。大鉈で叩き割るような理非の判断が、おそらく西郷にはある。あちらも長州に対しては猜疑をもっているにちがいないが、大筋で同盟が是ときめてしまえば、あの男はもう動くことはないはずである。何より、多少情誼によわい面がある。懐に飛び入ってきた長州という窮鳥を、西郷はきっと撃てまい。
(問題は……)
と、その男のいささか蒼白い、痩せぎすの顔を思いうかべた。
(あの男は利害にうるさかろう)
大久保という男を、木戸はそのように判断した。西郷の寛闊にくらべて、大久保はいかにも犀利である。そうして、一度こうと決めれば動じない西郷に対して、大久保はたえず情報を綜合し、こまかな判断をつづけているところがある。ときに既決の問題を覆すことも、大久保ならばありうるだろう。
その大久保のいかにも策士らしい眼光を前に、木戸は盟約の内容が不安であった。
薩摩に、得るところがすくない。
長州一国のための同盟でないとはいえ、薩摩の負担はともすれば一方的である。ともに火の粉をふりかぶるだけならまだしも、下手を打てば共倒れになりかねない内容に、大久保は果たして心から承服しているか、どうか。かりに今はそれでいいとして、今後状況が変われば彼がどう動くかはわからない。
――長州者は、虫がいい。
あるいはそういう目でもって彼がこちらを見ているのではないかと、木戸の不安はそこである。米の融通ぐらいではどうにもなるまい。しかしさしあたって長州から薩摩に差し出せるものといえば、やはり米ぐらいしかないのである。
といって、長州が叩頭して同盟を乞う格好になっては、はなはだまずい。
結局木戸にできるのは、長州は赤誠をもって薩摩と国事を共にするという、その赤誠を示してみせるだけのことだった。それも、藩の体面には傷をつけずに、いざとなれば自分にはどんな恥辱も堪え忍ぶ覚悟と用意があると――……。
大久保が自分など抱いて喜ぶ男かどうかは知らないが、少なくとも木戸の肚の固いところだけは示せるだろう。そういう微細な材料に、あの男は敏感なはずである。
それで、手紙を書いて小松に託した。
露骨にそうとは書かなかったが、わかる程度に匂わせておいた。はっきり書かない以上、断られれば互いになかったことで済む。
その紙片を、小松邸を去る前、玄関先まで送りに出てくれた小松に、「あの、失礼ですが、ちょっと、」と小声でささやいて握らせた。彼のずっとうしろに控えていた大久保を目顔で指すと、
「ああ、」
小松は鷹揚に笑って、
「承知しました。たしかに」
と言ってうけとってくれたのだった。
(西郷は、あのときいなかったように思うが……)
だとしたらどうして取りちがえたのだろう。
彼からの返杯を飲み干しながら、木戸はまだそんなことを考えている。
西郷では、意味がないのだ。
むしろそれなりに信頼ができあがったあとでこんな小細工をすれば、かえって疑惑を招きかねない。もっとも、当の西郷は上臈のお姫(ひい)さまでも貰ったように、鞠躬如として木戸の前にかしこまっているのだが。
(仕方ない。座興と思ってつとめるか)
あの手紙に対して西郷がうたがってかかっていれば――つまり常の面会を乞うたものかもしれないと思っていてくれれば、まだしもごまかしようがあったが、奥に床までとられていてはどうしようもない。ここで逃げればかえってややこしくなる。木戸はそう肚をくくった。大久保とはまた、別の機会を図らねばなるまい。
「酒がなくなりもしたな」
西郷が空の銚子を控えめな手つきで振る。
「すぐ用意させもんそ」
というからには、やはりこの家は西郷には心安だてな家なのだろう。ふつうの町屋ではあるが、どこかに粋筋の匂いがある。妾宅のようだと思っていたが、それでは西郷が誰かを囲っている家なのだろうか。
それはともかく。
入口のほうを振り向き、手を叩こうとした西郷の羽織の裾を、木戸はそっと押さえた。
「私はもうじゅうぶん頂戴しました」
「あ、」
西郷は戸惑ったような顔で振りかえり、すぐに目をふせた。そんな仕草もまるではじめて登楼した少年のようである。
「ですが、お飲みになりたければ」
と言うと、あわてて首を振る。
「おいも、もう」
(大丈夫か、この男)
耳まで赤くしてうつむいている西郷を、木戸はひそかにあきれる思いで眺めている。
大賢は大愚に似たりなどというが、西郷のこの呆けかたはどうだろう。
(まさか俺のほうが抱くと思ってるんじゃないだろうな)
そう勘ぐってみたくなるほどの、顔にも年にも似合わぬ羞じらいぶりである。抱かれるほうだと思っていないにしても、どうもこれはもしかすると、本当に木戸に惚れられたつもりでいるのではあるまいか。
(面倒だな)
と思った。男の深情けなど、どうせろくなことはあるまい。
しかし、ここまできてやめるわけにはいかない。それに憎まれるよりは、今のところは好都合だろう。
「まいりましょうか」
山芋の化け物のような大きな手に掌をかさねると、猫が毛を逆立てるようにびくりと肩をふるわせて、
「ハイ」
と返事した。
ハイと言ったものの、西郷は狸の置物かなにかのように動かない。木戸は仕方なくひとりで立って行って、奥の間に敷かれた床の枕元に座った。そこから西郷を見つめると、彼もふらふらとやって来る。
可笑しいのは、西郷までぺたりと枕元に座って、木戸と向かい合わせになったことである。ちょうど新婚初夜の挨拶をする夫婦のようになってしまった。
(へんなやつだな)
と思ったが、木戸はなんとなくそう流れてゆくままに、西郷の前に黙って三つ指をついた。口上まではさすがに述べなかったが、この馬鹿馬鹿しさといったらない。どこの世界に、男同士で初夜の挨拶を交わす馬鹿があるものか。ひょっとすると薩摩にはあるのかもしれないが、木戸の知ったことではないし、知りたくもない。
西郷はかくかくと不器用に首を折って返礼しただけで、やっぱり固まっている。
(このまま夜が明けるのじゃないか)
じれったくなって立ち上がり、自分で羽織を脱いだ。西郷があわてたように顔をあげる。木戸がさらに袴を脱ぎ、するすると帯を解いている間、彼は愕いたようにそれを見上げ、またあわてて目をふせるという動作を繰り返していた。
「あなたも、せめて袴を」
解いてくださいませぬと、と言うと、西郷は子供のように頷き、いわれたとおりにした。そうしてちょこまかと太い指を動かして、自分の脱いだものを畳んでいる。その手をとらえて襦袢の懐に導くと、ひっと小さく悲鳴のような声をあげた。
(俺が犯してるようじゃないか)
腹立たしくもあり、可笑しくもある。
「私がおきらいですか」
精いっぱい媚を含んでたずねると、またぶんぶんとかぶりを振る。
「木戸さぁは、まっこて……」
みごち、な、と消え入るようにつぶやいた。その膝が、もぞもぞと動いている。何度か座りなおすような動作をしている、その意味が木戸にはわかった。
「よかった」
と、丸太のような膝に手をかけた。
「きらわれたらどうしようかと思っていました」
裾に手をしのばせようとすると、大きな手がそれを追ってくる。
「木戸さ、」
させまいとするのか、手首をつかんで押しとどめようとするのを振りはらって、木戸はめざした場所にたどりついた。
――――――が。
そこに触れた木戸は、わずかに手をひっこめると、おもわず西郷の顔を見上げた。するともう西郷はほとんど泣き出さんばかりにして、ひたすら恥じ入るような表情を見せた。
「そいじゃっで、おいは……」
かすかにいいわけめいたことをつぶやいて、あとはかなしそうに口をつぐんだ。
「いや、」
と、木戸もなにか言おうとしたが、むなしく空気を噛んだだけで、あとは黙った。
(今の……)
西郷の着物の中でそっと自分の手を握った。
一瞬ふれただけだが、その感触とおどろきは、まだ掌にのこっている。木戸の狼狽を、西郷は即座に気づいたにちがいない。というよりも彼は、そういう反応をうけるであろうことをあらかじめ知っていたのだろう。
(しかし、いくらなんでも)
彼にわるいと思いながら、まだそのおどろきを反芻している。
西郷はまさしく巨漢とよぶにふさわしい大兵肥満である。そのうえ目から眉から、すべての部品が大づくりにできている。だから体のどこが人より大きくでも、それほどおどろくには値しないのだが。
それにしても、木戸の指先がとらえた感触は、まったく予想しない大きさを伝えていた。見間違いということはあるが、触りまちがいということはないだろう、などと埒もないことを考えていると、西郷が裾をはらって逃げようとした。
「すんもはんじゃした」
というので、木戸はあわててその袖をとらえた。
「何がです」
「やっぱい、やめもんそ」
「敵(かたき)に後ろをお見せになる」
「尊藩とはもはや友邦ごわす」
「だったらなおさら逃げなくていいでしょう」
「じゃっどん、」
西郷はあくまで抗おうとまではしないのか、木戸が腕をつかむと、おとなしくまた腰を下ろした。
「とにかく、」
と木戸は膝がふれあうほどの近さに腰を据えなおした。今中途半端に西郷を逃がして気まずい関係になれば、あとあとどんな禍害になってかえってくるかわからない。
「私が非礼でありました」
いまいましかったが、詫びてみせると、西郷は両手を振りふり、やっぱり身を小さくして恐縮した。
「おいが悪ごわした、おいが、こげん……」
そのたった今木戸に知れた身体的特徴がよほど恥ずかしいのか、唇を噛んで下を向く。
「べつに、私は」
おどろいていないとも言えずに、木戸も言葉を濁した。
と、
「島は、暑ごわして……」
唐突にそんなことをいう。何かと思って聞いてやると、要するに彼の過去に遭った酷刑の話であった。
西郷が藩父の覚えめでたからず、かつて二度までも流罪になったとは木戸もかねて聞いている。とくにその二度目がわるかった。
「炎暑の地には、奇病悪疫がはびこりもす」
その奇病のひとつに、西郷も感染した。それで、
「こげんあさましかこつにないもした」
という。
「はあ」
木戸は頷くしかない。
「そいじゃっで……」
まだ西郷がぐすぐず言っているので、
「なにも男でなくなったというでなし」
いいじゃありませんか、と溜息をついた。
「じゃっどん、木戸さぁ……」
「私のことでしたらどうぞお気遣いなく」
泣きも喚きもいたしませんよ。舌なめずりするほどに淫らに微笑んで、ふたたび西郷のそこに触れた。
両手でいとおしむように包みこみ、先端の窪みを舌先でつついてやると、端座したままの西郷がひゅっと喉を鳴らした。そのまま口に含み、ぐるりと括れを舐めまわすと、太い腰がびくりと慄える。木戸が取り出すまえからすでに張りつめていたそこは、始まったばかりの愛撫にもとろとろと悦びの涙を零し、木戸の唾液と混じってゆっくりと滴りおちていく。
根本まではとても頬張れない木戸は、それでも喉を突くぎりぎりまで西郷をくわえこんで、あとは掌をつかった。そうして歯を立てないように粘膜で包み込んでいるが、それだけでも相当に苦しい。
(顎がはずれやしないかな)
めいっぱいに頬張っているせいで苦笑もできないが、西郷の巨きさは春画のそれのようで、どこかしら滑稽におもえた。
手と口の動きを合わせ、舌を使い、また吸い上げながら上下に扱いてやる。苦しさと、濡れた淫欲の音が木戸を追い立てる。
「ん……、ふ、ぁんん……」
固く奥歯を食いしばっている西郷をわらうように、猥らに呻き、啼いた。いよいよ激しく責めたててやると、西郷の大きな手が髪にからんできた。押しつけられるのかと思ったが、彼はまだそれをためらっているらしく、意外にやさしい手つきで、木戸の髪を梳いた。無骨な手に撫でられる感触に、木戸の官能がたかまる。
「んぅ……、」
「き、木戸さ、」
喉の奥まで咥えこむと、西郷がひきしぼるような声を洩らした。
「もう……っ」
(そうなのか)
案外早いな、と思ったが、触れられるまえから相当に我慢していたのだろう。
木戸の口のなかで、西郷がひときわ膨れたのがわかる。どうぞ、と目顔でうながしてやると、彼はひどくせつなげな顔をして、ふるりとかすかに顫えると、木戸が一瞬呼吸をうばわれたほど、ぐいと猛々しく奥へ入ってきた。それから、びくびくと腰をひきつらせる。
「ん……っ」
熱くどろりとしたものが、喉奥へ放たれる。噎せかえりそうになるのをどうにかこらえて、木戸はそれを味わい、やがて嚥みくだした。どこまでも初(うぶ)めいた西郷のようすとは裏腹に、それはねっとりと濃い獣慾の味がした。
頭の上で、彼は流感にでも罹ったかのように、ぜいぜいと息を切らしている。最後の一滴まで洩らすまいと先端を強めに吸い上げると、く、と小さく呻くのが聞こえた。
「木、戸さぁ……」
「わるくないでしょう?」
唇の端からこぼれたものを、見せつけるようにゆっくりと舐めとりながら微笑みかける。
「割合巧いほうだと思うんですがね」
いかがです、と訊いてやったが、西郷はわずかに傷ついたような顔で、ぼんやりとしている。
(意外とだらしがないな)
木戸は目をほそめてそう観察している。
(これでは俺がわるいことをしたようだ)
あばずれ後家に誑かされて初物をもっていかれた少年は、きっとこんな顔をしているのだろう。
酷いことをされた、という顔のわりには萎えていないところも、青臭い少年の慾を思わせる。
「西郷さん」
彼の手に指をからめた。
「私も……」
およそ味わいつけない巨きさのものを頬ばった昂奮で、木戸のそこもぬめりを帯びて屹立している。西郷の手を導くと、触れている彼のほうが、あ、と微かな歎きの声をあげた。
「あなたに舐めよとは申しませんから……」
だから、と言いかけたとき、西郷の分厚い掌に肩を突かれ、木戸は布団の上に倒れこんだ。どさりと背が沈む感じが心地よく、木戸はうっとりと目を閉じそうになったが、そこは少しは西郷の純朴さにこたえてやらねばならず、精一杯おどろいたふりをして彼を見上げた。
「あの、」
そこに置かれたままの手についてちょっと口をはさもうかと思ったとき、
「木戸さぁ」
西郷は下帯をむしりとると、木戸が指ししめそうとしていた場所にふれた。そのまままわりをなぞるように、ゆっくりと指を這わせていく。
(なんだ)
知っているんじゃないか、と可笑しくなった。彼はどうやら、男同士の要領を心得ているらしい。さすがは薩摩だな、と妙なところに感心する。
受け容れさせるときのために、こちらが雄として零したものを塗りこめ、ほぐすことまでしっかり覚えこんでいる。さっきまでおぼこいためらいを見せていたくせに、と木戸は彼から見えないように、ふくふくと笑った。
そうしているあいだも、西郷は木戸がしだいにやわらかくなるのを丹念に指先でたしかめている。おそるおそるといったふうに直角に指をあてがわれ、木戸は小さく息を呑んだ。やがてその裂け目を分け入ってきた肥った指先を、悦びに喉を鳴らしながら迎えた。
「熱ぅごわすな」
感に堪えたようにそう洩らす、西郷の息も熱い。
「はぁ……っ」
木戸は唇を微笑のかたちにゆがめて喉を反らした。狭い肉の間をぬくぬくと潜りこんでくる指の武骨さとあたたかさが、木戸の腰を揺らめかす。
「も、すこし……そう、」
自ら身を捩り、好きなところへ当たるようにする。
「ぁ、そこ……っ」
そこがいい、と言うと、西郷は律儀にそこを擦ってくれた。
「あ、あ、」
ねだる前にさらにもう一本指があたえられる。
「っく……、」
すこし苦しいが、いっぱいに拡げられている感覚がたまらない。西郷は、指は(指も、というべきか)太く不格好なくせに、そのつかいようは繊細で、意外なほど巧みだった。
(このまま……)
このふしぎな生き物のような指に犯されて気をやってみたかったが、そうあまり悠長なこともしていられない。さっきの吐精でもほとんど萎えていなかった西郷が、木戸の媚態にふたたび烈しい熱を取りもどそうとしている。彼の表情からも、また何より衣服の盛り上がりにもそれはあきらかだった。
(あまり大きくされてもな)
そもそも、すこしでも媾交の負担が減らないかと思って、先に口をつかったのである。それをいま西郷にさっき以上にいきり立たれては元も子もない。
「もう、結構、」
指を抜いてほしいと言うと、西郷はやっぱりすなおにしたがった。そのようすもなんだか戯画的で可笑しい。
西郷は、それもやっぱり国で学んだことなのか、木戸の体を返そうとしたが、木戸はゆっくりと首を振ってそれにあらがった。
「かまいません」
正面から交わるのは決して楽ではないが、それでも堪える、と示してみせた。不安がないわけではないが、互いに顔が見えていたほうがいい。恍惚のなかで一体誰を抱いているのか忘れられてしまうようなことがあっては、せっかくここまで肚をきめて体を投げだした甲斐がないではないか。
それでもまだためらうようすの西郷に、紅い舌を見せつけながら淫らに笑いかける。
「このほうが……」
と、彼に向かって両腕をひろげる。
「いいらしいですよ。私」
らしい、というあたりに言外の意味を匂わせた。西郷がわずかに面食らったような表情をみせる。
「好きなんです。こちらのほうが。だから……」
西郷の背に腕をまわして肉の厚い体をひきよせ、耳許で囁いた。
――締まる、のだそうですよ。
粘膜のなかを舌が蠢く、その湿った音を響かせて、一音一音、糸をひくように発音した。
一瞬西郷の体がこわばり、あとはものもいわずに両脚を押しひらかれた。
「あ、……っう、んん……」
西郷の首にしがみつき、深く眉根をよせる。先端がわずかに入りこんだだけで、内側から肉が弾けそうだった。
「木戸さぁ、やっぱい……」
苦痛を思いやってしりぞこうとする西郷の背に、脚をからめてひきとめる。
「下、手に抜かれても、痛……」
「そいでん、」
「いいから……っ」
つい叱りつけるような口調になる。西郷は太い眉を情けなく下げて、それでもいわれたとおりに腰を進めてくる。
「ん……っあ、」
力を抜こうとするが、苦しさが先に立ってうまくできない。
と、
「こげんこつしか、できもはんどん……」
そろそろと大きな手が伸ばされて、宥めるように前を愛される。
「はっ……ぁ……」
痛みを皮一枚の下にくるんだような、むず痒い快楽が生まれる。その奇妙な感覚の波を拒まず、とりあえず身を預けてみるのは、われながら練熟の所作というものであったかもしれない。
「……あぁ、」
やや緊張のほぐれた体が西郷の進むさきを沾し、徐々に深く誘う。やがてみっしりと隙間なく彼に埋められて、木戸は顫えながら溜息をついた。
腰骨が割れそうなほどの圧迫感である。
けれども肉のすみずみまで犯されているその感じが、濃い淫楽の熔塊となって血を濁し、どろどろと渦巻きながら体の奥を流れた。
「ぁ……あ……」
肌が泡立つような感覚に木戸は身をよじり、前を擦っている西郷の手をはらった。もう、その慰めは必要がない。
「木戸さ、」
平気か、と目顔で尋ねられ、唇のはしで笑いながら頷いた。
西郷の腕が、木戸の背をかき抱く。上体がわずかにもちあがり、中の角度が変わる。
「ふ……、」
はらわたを押し上げられるような感覚は、苦しいにはちがいないのに、首のうしろの血が多く通うあたりが、じわりと甘く疼いた。
西郷はしばらく黙って木戸の体を抱きしめていたが、やがて、
「……よしゅごあんそか」
胸のあたりに頬をすり寄せながら、おずおずと尋ねてきた。目をほそめて彼の黒々した瞳を見つめながら、体の奥で彼の滾った慾を締めつけてやると、弱ったという顔で大きく溜息をついた。
「あ、ぁん、あ、」
一分の隙もなく密着したそこを擦られて、粘膜がひきつれるような熱さを感じる。痛いといえば痛くもあるし、何より突き上げられるたびに胃の腑まで剔られるようなきつさがあるが、体いっぱいに銜えこんでいるという感じがたまらなかった。
西郷はそこを責めたてつつも、木戸の胸に唇を這わせ、ぷくりと熟れたところをつまみ、舌で転がした。
「ここが、」
ちゅっと音を立てて強く吸い上げる。
「はぁ……っ」
「もぞか、な」
「や、……ぁ、」
時折かるく歯をあてられて、ぞくぞくと背が慄える。
西郷の愛撫をうけるたび、繋がった部分がさらに彼をもとめてひとりでに蠢くのを感じる。
「ああ、こいは、」
乳首を噛みながらかすれた声で彼がつぶやく。
「たまらん、」
夢中で腰を動かすとみせて、その実さっき指でおぼえた木戸の弱点を突き、捻じこむようにして擦ってくる。
「ああぁっ」
木戸の脚がはげしく布団を掻いても、西郷は容赦しない。しかもそうしておいて、
「ちっと、ゆるめてくいやはんか」
きつくて動かしにくい、などと言う。
(――狸め)
おぼこいふりをして、なかなかどうして……――。
しかしそれを咎める余裕はもう木戸にはない。西郷が出入りする淫らな音と強すぎる感覚が、脳髄を犯してゆく。背骨から脳天まで蕩けるような痺れが駆けぬけ、自分の四肢のありかもわからなくなった。揺さぶられるまま声をあげ、しがみつき、あっというまに昇りつめた。
木戸の体が最後の痙攣をむかえたとき、西郷はさすがに苦しかったのか、ちいさな呻き声を洩らした。が、おどろいたことに彼はその瞬間を堪え、木戸の中に入ったままでやりすごした。そうして木戸が吐精後の恍惚に浸りきるのをゆるさず、ゆっくりと腰をつかいつづけた。
「ひ……っ、あ、」
まだ絶頂の感覚が去らない木戸に、その刺激はつらかった。
「や、め……」
涙を零しながら懇願するが、西郷はやさしく――きわめてやさしげに微笑んでいるだけで聞き入れない。それどころか、
「や、ぁあああっ」
片脚を持ちあげられ、繋がったまま体を半分返された。中をぐるりと剔られる感覚への愕きから木戸が覚めるのも待たず、そのままもう一方の脚を跨がれて、横向きに犯される。
「あ、あぅっ、あ、」
この姿勢では西郷につかまることもできず、むなしく両手で敷布を掻いた。
はっ、はっ、と、西郷の荒い息が聞こえる。大きさといい猛々しさといい、野獣かなにかと交わっているようで、熱に爛れきった木戸の体がさらに昂ぶる。自分の腹につきそうなほど反りかえったそこからは、頽唐のにおいのする淫水が、とろとろと溢れでていた。
「はぁ、あ、」
さっきよりもさらに深い快楽が欲しい。
さらに昏い法悦に身を沈めたい。
西郷にあわせて腰を振りながら、木戸はあとあとまで思い出してこればかりは腹立たしいことだったが、
「もっと……!」
気がついたときには安い立ちんぼ女郎のように、自分のそこを指さして高く叫んでいた。
「毒だな」
やわらかな絹布団のなかで後ろから木戸の体を抱きながら、西郷がつぶやいた。
「ずいぶん、毒だ」
今までの彼からは意外なほどきれいな江戸言葉で、木戸ははっとして肩ごしにふりかえった。
「……毒、とは」
腹のあたりに置かれている彼の手を撫でながら尋ねると、
「とは、も何も」
彼はもとの薩音にもどって、
「こいが、毒じゃち思いもして」
「あ、」
さんざん彼の雄がなぐさんだそこに、指を挿れてきた。
「あ……あ……」
かきまぜられると、瀉がれた慾のしるしがとろりとあふれだす。
「そいじゃで、」
と、彼は木戸の体をもてあそびながら、べつのことを言った。
「あれに来させんでよかごわした」
「あれ……?」
「ここは、」
西郷がぐるりと天井を見渡す。
「女の住いじゃっで」
「はあ」
それはそうではないかと思っていた。が。
「大久保の」
と西郷がつづけて言ったとき、木戸はおもわずびくりと肩を跳ねさせた。
「大久保さん……」
「ああ、女は今はおいもはんど。今ちょうど里に帰っちょいもすとかで」
「そんな、」
そんなことは聞いていない。それよりなぜ、と言おうとするその先へ回って、
「小松さあに、文を託されましたろう」
ごくのんびりと西郷は言った。
「おいは小松さあには何も言われておいもはん。あれはちゃんと一蔵に渡っちょる」
じゃっどん、一蔵はなあ。農夫が天気の話でもするような調子で、西郷はつづけた。そのくせ木戸の中に納めた指は退かず、ゆっくりと襞をさすっている。
大久保はつまり、小松を経て受けとった付け文を、西郷に見せたらしい。
――ああ見えて、あれは意外に危ういところのある男で。
そんな意味のことを、西郷は言った。もっとも、木戸さんもそれをわかっていらしたのでしょう、だからあえて自分ではなく大久保を誘ったのでしょう、と。
その大久保を行かせるわけにはいかない。といって断っては角が立つ。だから自分が来た。
「驚かれもしたじゃろ」
くっと中で指を曲げられて、枕に顔を押しつけた。蒼ざめているであろう顔色を、西郷に見られないように。あるいは彼はそのために、指を動かしてくれたのかもしれなかった。そういう細心さが、今は憎らしく、恐ろしい。
(――何もかも知っていたわけか)
それで何喰わぬ顔をして、大久保のかわりに、手紙が取り違えられたふりをして、誘いに乗ってみせたというのか。大久保と寝ようという木戸の肚を透かし見た時点で何とか言ってよこす手もあったろうに、あえて身がわりにやって来て、そのことが済んでからこうして明かしてみせる。それは、「薩摩は何者の策にも乗ぜられぬ」という、暗闇にぬらりと抜身が光るような宣言であり、しかし同時に「長州と結んだ友誼はなしうるかぎり重んじよう」という底堅い誓いでもあった。そのしたたかさに、木戸はむっと胸のわるくなるような畏れを感じた。
(――――狸め)
西郷も大久保も、あるいはひょっとすると小松までも。薩人というのは、どうやらそういう人種であるらしい。そして自分は大義のために、そういうかれらとどこまでも手を携えていかねばならない。現に同盟は成ったし、西郷とは今こうして体まで繋げてしまった。
(悪縁、だな)
これからも化かしあい、互いに歯軋りをしながら、つきあいつづけねばならないのだろう。
「そいにしてん、」
西郷の吐息がうなじをくすぐる。
「こいほどとは思いもはんじゃした」
指の腹でその一点を嬲られて、おもわず声が洩れた。
「西郷さん」
首をめぐらして彼に濡れた視線をなげかけ、見せつけるように舌なめずりをする。彼の残っていたほうの手が髪に絡み、初めての口づけがあたえられた。手を伸ばして、さっきから背中にあたっている彼の慾望にふれると、またしても彼は清童であるかのように顔を赧らめ、びくりと肩をふるわせた。
「あなたは、とてもおめざましい」
互いに、どこまでが本当なのだろう。
中から指が抜かれる。木戸は自分から仰向けになると両腿をひらき、西郷の手を引いた。
「よしゅごあんそか」
もじもじとしているその顔が小憎らしい。
「もちろんですとも」
頷くと同時に、彼がそこに先端をあてがい、体ごとのしかかってくる。
「ああぁ、」
悔しさも腹立たしさも、その熱と質量がかき消していく。真っ白になる心地よさに、木戸は陶然と喉を鳴らした。
「あ、も、すぐいく……」
「ハイ」
西郷が律儀に返事をするのが可笑しい。
取り籠められたのは、どちらだったろうか。
(まあ、いい。どうでも)
木戸は高く喘ぎながら西郷の背に爪をたて、脚をからめた。乱れかかる髪の下でゆがんだ頬は、笑いのかたちに似ていた。
[33回]
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