本所は近頃ようやくひらけてきたが、まだまだ草深い。樹種もまちまち、鋏も入らず、互いに深く枝を差し交わした木々の葉がいっせいに色づいたさまは、いささか粗野ではあるが、いかにも鄙の秋といった感じがして、美しかった。
「ちらぬ影さへ底に見えつつ、か」
開け放った障子から身を乗りだすようにして、容堂が水に映る紅葉を眺めた。舟はゆったりと櫓の音をたてながら、隅田川を下っている。
「見事なものですな」
木戸が和すると、容堂はふんと鼻を鳴らし、
「佳いことはいいが、所詮は徒花だな」
例の皮肉屋なところをみせて、ぷいと川面から顔をそむけた。
「紅葉なぞは女子供か、業平流の優男に賞でさせておけばよい。常磐木の緑こそ男子の鉄腸を洗う色ではないか」
「はあ」
「それ、あの松」
と指さした先の、青々とした一団は、回向院の松だろうか。
「本所は、やはり冬だな。色変えぬ松の緑と雪の白と――これに意気が揚がらぬ者は武士とはよべぬ」
「松坂町大雪の夜、ですか」
「笑うか」
「いいえ」
余人は知らず、木戸は容堂のそういうところを決して笑わない。たしかに、いまさら武士でもない。すでに版籍奉還が成り、かつての武士は皆主家から離れた。それでも容堂が武士の心ざまということに固執するのは、まんざら彼が殿様だったせいばかりでもあるまい。
(なるほど、あれはいい)
枝ぶりまではわからないが、遠目にもいかにも幹の太そうな、松のどっしりとした緑を見て、木戸はそう思った。紅葉の浮華よりも、むしろ――。容堂の寓意が木戸にはわかる。そして容堂にとっては岡目の批評にすぎないそれは、木戸にはちくりと膚を刺されるような、痛みと苦さをともなうものだった。
「まあしかし秋の川遊びというのは、何だな、よほどの酔狂だな」
容堂は、自分で誘いだしておきながらそんなことを言った。川風が寒いのか、首をすくめている。そのくせ障子を閉めようとはせず、熱心に沿岸の景色を見つめていた。
木戸を千住の料亭に呼びつけた容堂が舟に乗ると言いだしたとき、木戸はてっきり妓(おんな)をあつらえるものだと思った。彼の酌をする手が要るし、容堂は遊山にでるときは唄や三味線でにぎやかにやりたいほうだろう。が、意外にも、
「いい。面倒だ」
と首を振ったのである。それから、
「ここを往き来する舟というのはつまり、浮かべる連れ込み宿らしいな」
どこで聞きこんだのか、容堂は嬉しそうにひとりで頷き、
「松菊よ」
挑むような目で笑ってみせた。
「一緒に乗るだろうな」
といわれたとき、
(なるほど)
あきれるような、むず痒いような思いで、木戸は微笑しつつうなずいた。
棹からもちかえた当初にくらべて、櫓の音がしだいに滑らかになる。船頭は鶴のように痩せた年寄で、しかし腕のほうはたしからしく、暢気に鼻歌など唄っている。
「じきに、温もりましょう」
火鉢に炭を注ぎながら、木戸は、寒そうにしている容堂をふりかえった。と、
「まあ、もう外はよかろう」
窓に倚っていた体を離し、膝立ちで火鉢の傍までくると、木戸の手から火箸を取り上げた。自分で火を熾すというのだろうか。
「では、閉めましょうか」
寒いなら障子を閉てたほうがよかろうと、容堂に火箸をあずけたまま、彼にかわって窓辺によると、
「開けておけ」
後ろから羽織の裾を引かれた。
「ですが、」
言いかけた口に親指を押しあてられ、残りの指で顎をとらえられた。しゅっと衣擦れの音を立てて、容堂の膝が木戸の膝に寄せられる。片手を障子にかけたまま、深く口を吸われた。
「ん……っ、」
容堂の舌の感触に、体が顫える。障子に爪をたてようとしたところで、不意に唇が離れた。
「なかなか、このあたりの景観もわるくはない」
唇に息がかかる距離で、彼はにんまりと笑って言った。
「だが儂はもう堪能したのでな。次はお前がよく見るといい」
さ、と木戸の膝のあたりに置かれていたもう一方の手をとると、窓の桟にかけさせた。
「向こうを見ておれ」
「容堂様、」
何を、と思う間もなく、体を開いた障子のほうへ向けられて、後ろから抱きしめられる。容堂の体から、ふと花のような香りがした。
「今日は儂のお守りでよう勤めた。褒美にここで可愛がってやろうな」
耳に舌を入れながら囁かれて、おもわず首をすくめる。
「そ、れは……」
それは舟に乗ったときから――容堂が妓は要らぬといったときから覚悟していた。だが、
「このままでは……」
せめて障子を閉めようとしたが、
「ならぬ」
彼はぴしゃりと言った。
「火もあることだ。どうせまぐわえば暑くなる」
のう、と襟元から大きな手を差し入れられて、木戸はたやすく膝を崩した。
窓の桟に両手をかけ、胸から上を半ばせり出すようにして、木戸は荒い息をついている。低く差す陽に川面がかがやいて、映る紅葉の影もちらちらと目にまぶしかった。窓縁で上体を支えながら、腰は少し浮かしている。まるで外がめずらしくて仕方がない子供のような姿勢だった。その後ろから容堂の手が裾をめくり、硬くなりつつある木戸のそこをやわやわと揉みしだいている。
「さ、しっかりと、な」
容堂は障子のかげにすこし隠れるようにしながら、もう一方の手を木戸の口許へやった。その意味が木戸にはよくわかる。ためらいなく指を口に含み、丹念に舌を這わせた。
容堂の指は、彼お得意の居合の稽古のためでもあろうか、およそ貴種らしからぬほどごつごつと節くれだって、老松の枝のようだった。その無骨な指が、どんなふうになやましく動くかを知っている。木戸はすでに何度かあたえられたその感覚を追うように、深く呑みこみ、夢中で吸いあげた。舌にあたる関節の硬さが、さらに感興をよびおこす。
「う、……ん、ん……」
時折、首を折って下を向いた。江戸開闢の頃から水運のさかんな土地だけに、川遊びはさすがにこの時期少ないが、荷を載せた舟や、吉原へ往き来する猪牙(ちょき)がすれちがう。そのたび木戸は俯いて容堂の手を匿す。かくしている間も、舌をやすめなかった。
「ずいぶん健啖だな」
容堂がしのび笑う声にさえ、体が疼いた。
五指すべてがしとどに濡れたところで、
「よしよし」
と満足げに言い、彼は手を引き剥がした。そのさびしさにおもわず声が洩れたのを笑われる。
「もっとお前のいいようにしてやる」
前を弄んでいた手で腰をとらえられる。期待に背をしならせ、溜息をついた。その息を吐ききらぬうちに、
「あぅ、」
生温かく濡れた指が、後ろを這う。そこの熱さをたしかめるようにゆっくりと襞を撫でられて、
「あ、あ、容堂様……」
腰を揺すってねだった。その淫蕩さを咎めるように、ぎり、とうなじに歯をたてられる。
「あぁ……っ」
「松菊は、よほど中が好きとみえるな」
どうだ、欲しいか、と耳に熱く湿った息を吹き込まれて、慄えながらはげしく点頭する。
「ここで銜えるのが好きか?」
ぐっと押しつけられた感触は指二本分のもので、
(あ、いきなり……)
不安に思いながらも、受け容れやすいように腰をつきだした。
「いかんな、お前は、悪食で」
何でも銜えるのだろう。そう言いながらずぶりと熟れた肉を突き挿される。
「ぁん……っ」
待ちかまえていたそこは、蛇が獲物を呑み込むように、ずるずると容堂の指を奥へ誘いこむ。狭い肉を二本の太い指が割ってくる感覚は苦しくはあったが、蹂躙されているのだという思いが熱を煽り、そこの圧迫感は、甘美な痺れとなって全身を駆けた。老松の瘤のような関節が中をてんでに突いて進むのがたまらない。
「あ、あ……」
「もうよくなっておるのか。まったく仕様のない体だな」
「容堂様、」
それは、容堂様が、と言いかけると、ぐっと弱いところを押し上げられた。
「ひ、」
「こんなふうにされて悦ぶのはお前くらいだろう。儂のせいにするな」
「あ、……や、」
「二本では足りぬな」
「ああぁっ」
深く潜った人差し指と中指のあとを、薬指が追いかけてくる。
「ほう、今日はまた一段と締まるな」
愉しみだ、とほくそ笑む容堂の声に、どろりとした情欲の濁りがある。逸すぎる快感の募りにともすれば逃げそうになる腰を何度かとらえなおされ、そのたびより深く抉られた。
「あ、っん、あ、」
かりかりと窓の桟に爪をたてながら、木戸はわずかに常の涼しさを保った頭の隅で、
(何だろう……)
かすかな不思議を感じていた。
容堂が身じろぎするたびに、淡い芳香が鼻をかすめる。花のような、女の白粉の香のような、やわらかく甘い、しかし上品な匂いだった。この匂いを、自分は知っているが――――……
雄そのものといった感じの容堂の荒々しい仕草にその匂いはいかにも不似合いで、
(どうしてまた)
彼の指に追いつめられながら、木戸はひそかに首をひねった。
そうしている間も、ぎりぎりまで入口を拡げられ、淫らな動きで出入りしながら、指先で中の一点を執拗に擦られる。
「あ、あ、あ、あ、」
「どうも今日は、早いな」
解剖中の蘭法医のように、落ち着きはらった口調で、容堂は彼の木戸に対する観察を述べた。
「こういう場所でするのが好きか」
「ん……、」
木戸はいかにもとも否ともいわず、腰をくねらせて容堂の指を味わった。
(場所、もあるが……)
――――匂いが。
その常ならぬ感覚が自分の官能を高めていることに、木戸は気づいていた。
(おそらく、匂袋)
芸妓が帯に下げているようなそれを、今日の容堂は懐にしのばせているにちがいない。その、およそ彼らしからぬ甘い香りのただようなかで体をひらいていると、なにやら知らぬ男の腕に抱かれているようで、しかも容堂の声がするたび、その他人との痴戯を彼に見られているようで――木戸の体は、抑えようとする自身を裏切って、ひどく敏感に反応してしまう。
「容堂様、」
今はたしかに彼の愛撫をうけているのだと自分に教えこもうとするように、ことさらに名前を呼んだ。
「容堂様……」
「このまま達かせてやろうか」
指で、といわれて、あわてて首を振った。指も、好きだが。
「どうか……」
つぶやいたすぐ目の前を、遊客を乗せた猪牙が滑っていく。かれらからは、開いた窓に対して斜めに隠れている容堂の姿は見えまい。ただ窓縁にしがみついた木戸の姿だけが、船酔いでもした間抜けな客として見えていることだろう。
(どうでもいい)
木戸は肩越しに容堂を振り返った。半立ちの格好の膝が震え、額を汗が湿している。容堂は遠くの山河を眺めるような眼をして、薄く笑っていた。
「は、やく、」
「なんと。儂を急かすか」
これは愕いた、と肩をすくめてみせるさまがしらじらしく、しかし染みついた陪臣の恭謙さゆえに憎らしいとも思えない木戸は、ただ悲しく眼を潤ませた。
「容堂様……」
「わかった。前を見ておれ」
さもないとくれてやらぬ。そういわれて、仕方なく首をもどす。
「どれ、」
と、裾をさらにはだけられ、尻をつかまれる。来る、と思ったとき、
「ひ、あぁ……っ」
木戸は眼を見ひらいて、体を跳ねさせた。
「これ、動くな」
「や、」
遁れようと身を乗りだすが、前方はむろん潺々たる墨水の流れである。
「あ、あ……」
やむなく桟にしがみついたまま、踏みしだかれるにまかせた。
指が抜かれたのも、つづいてもっと大きな衝撃が襲ったのも、予想した瞬間だった。ただ、木戸を貫いたものは、彼の待ちこがれたものではなかった。
「つ、めた……っ」
裏切られた愕きと嘆きを、みじかく叫んだ。
「ほう、そうか?」
容堂ののっそりとした、しかし愉しげな声がする。
「懐で温めておいたがな、なにしろ青銅だによって仕方なかろう」
「や、抜い……、」
抜いてほしいと懇願したが、逆にひと息に奥まで捩じこまれた。
「い……っ! ああ、」
温かい指に馴らされたそこに、冷えた金物を嵌められる。しかも、
(硬い……)
人間とはまるでちがう硬さに犯されて、違和感に涙がこぼれた。指を受け容れていたときよりも、さらに粘膜が押しひろげられる。その圧倒的な質量が、苦しかった。
「気に入ったか」
ねっとりと濡れた声に耳朶を撫でられる。
「これはな、」
もう一方の手の指で拡がった襞を撫でられて、苦痛とも法悦ともつかない感覚にすすり泣く。
「こうして、」
隙間なく埋まったそれを、ゆっくりと抽き挿しされる。
「あ、あ、」
「わかるな」
木戸は首を横に振り、唇を噛んで嗚咽を洩らした。
慾に爛れた粘膜を、大小の責め苦が罰してゆく。容堂が動かしているそれには、まばらな凹凸がほどこされていた。目ではまだ一度も見ていないその姿を体の中に教えられて、その酷さに喉をふるわせて泣いた。しかし体の奥は早くもその虐待を悦ぶことをおぼえ、きゅうきゅうと締めあげてそれに喰らいつく。
「お、ゆるしくださいませ、」
嫌だと泣きながら腰を振り、切なさに身悶えた。
「かならずお前の気に入ると思っていた」
獲物を捕らえた獣のように、嗜虐の歓びをしたたらせて、容堂がささやく。
「硬くて大きくて、さぞよかろう」
お前は大きいのが好きだからな。ぐるりと回されて、木戸は悲鳴をあげた。
「ど、どうし……、」
「なに、どうしてということもない」
容堂は舌のうごきが聞こえるほどにぬめった口調で、ゆっくりと話した。
「土佐に鋳物師がおってな。御一新の少し前だが、そやつが耶蘇の神像を作りおったので牢にぶちこんでおいた」
そやつは耶蘇教徒ではないのだがの、と容堂は懐かしげに、どこかあざけるように言う。
藩の刑吏がたしかに耶蘇教徒ではないのかと尋問したところ、家は代々真宗門徒だと答えた。ならばなぜ耶蘇の神像などつくったかと問いただすと、男は傲然として言い放ったという。
「私めは職人でございます。ひとが物の用に立つといえば何でもつくるのが私どもの仕事にございます。耶蘇の神様が偉いか偉くないか存じませぬが、像が要るのだといわれましたゆえこしらえました。手前はあばら屋に住んでいたってお大尽のお屋敷を立派に建てるのが大工です。それならこちとらは、手前が門徒だって、耶蘇の神さんぐらい作れなくて何の鋳物師でございましょう」
なんとふてぶてしい、即刻首を刎ねてしまえとの論もあったが、どうかしてこれを聞き伝えた容堂が面白がった。
「耶蘇教徒でないなら仕方がなかろう。充分仕置きはした。出してやれ」
と彼に似合わぬ寛闊なことを言い、さらに、解き放ちにする前に自分の前に引き出せと命じた。
「喰えぬ面をしておったわ」
ふんと鼻を鳴らしながら、木戸の中を弄ぶ。
鋳物師を引見した容堂は、彼に言ったという。
「お前はたしかに頼まれれば何でもつくるのか」
鋳物師は答えた。
「泥棒と人殺しの道具以外でございましたら」
「ほう。ならば」
――閨道具をつくってみせよ。容堂の命令の前に男はすこしもたじろがず、
「はて、いかような――」
注文を聞いて帰ると、日ならずしていわれたとおりのものを献上したという。
「それが、これよ」
わざと濡れた音を響かせるようにして動かし、先端のいかつく張り出た部分で木戸の好きな場所をくじる。
「あ、はぁ……っ」
「女が裂けてしまうといって泣くようなのをつくれと言ってやった。なかなか、
ようできた」
(なるほど)
さすがに口には出しかねるが、体の中で暴れるそれは、容堂の形によく似ていた。まさかに型でも取らせはすまいと思ったが、そういうことならよくわかる。女が泣くようなものという注文に答えた結果、暗合してしまったのだろう。
容堂も、たぶんそれをわかっている。
「もう腰が抜けておるのか。だらしがないな」
「っふ、あ……」
唇の端から唾液をこぼして、木戸は白痴のように薄目をあけて呻いた。
容堂がそれを動かすたび、硬い疣が粘膜を突きほぐすようにあちこちに当たる。はじめてあたえられる感触に、背筋が痛いほどに甘く痺れた。
「まあ、ああいう男も、御一新後はだんだんいなくなるだろうな」
容堂の口吻になにがしかの感慨がこめられているのを感じるが、それがどういうものかを考えるゆとりはもはや木戸にはない。
「あ、あ、すごい……」
夢中で腰を擦りつける。
「儂のと、どちらが好きだ」
「そ、れは……」
「わからぬのか」
きつく奥を穿たれる。
「いぁ……っ!」
「ならば、どちらが大きいと思う」
「ど……、ちらも……」
事実そう思ったのだが、
「淫乱め」
ばちんと高い音を立てて、尻を叩かれた。
「……っ、」
おもわず締め上げた肉の奥で、つくりものの陰茎の淫らな形を、さらにはっきりと感じる。
「あ、も……、」
熱に潤んだ眼に、川面のかがやきが眩しい。目をとじると、自分の貪婪な粘膜が立てる濡れた音と、川の流れる音、容堂の息遣いが入り交じって耳を犯す。
そうして、容堂の懐からしているらしい、あの匂い――――……。
知らない道具に犯されながらその匂いを嗅いでいると、本当に知らない獣と交尾しているようで、不安とやるせなさでひどく感じてしまう。
「ん……、あ、」
仰け反りながら大きく体をゆすって快感を追っていると、
「松菊」
急にするどく呼ばれた。
振り向こうとして、叱られる。仕方なく前を見ると、川風に乗って女たちの笑いさざめく声が聞こえてきた。ほどなく櫓の音とともに、自分たちのとほぼおなじつくりの舟が上ってくるのが見えた。
「あ……」
木戸は肩で息をしながら、その舟を凝視した。ずいぶん、近い。向こうの障子も開け放たれていて、芸妓たちの華やかな衣裳が咲きこぼれているのが見えた。
否、それよりも――――
「まあ」
女たちのひとりが声をあげた。舷が触れあうような近さで、互いの顔までがはっきりと見える。
「木戸様じゃござんせんか」
姐さん株の女が手を振る。涼しく切れた眼の美しいその顔を、木戸はよく知っている。国の連中との席に何度か呼んで、謡を唄わせたことのある女だった。
「いやだわ、おひとり?」
ふなばたに手をかけて、人懐こく問いかけてくる。木戸は埋め込まれたものの感覚に下肢をふるわせながら、かろうじて微笑んで頷いた。
「まさか、嘘でしょう」
後ろで笑っている女も、知った女である。
「どこか奥のほうにどなたか匿しておいでなんでしょう」
そう言いながら、女たちのほうは、客は先に降りてしまったのかそれらしい姿もなく、てんでに盃をもっていかにも気安げである。あるいは妓と幇間だけで内々の遊びに出たのかもしれなかった。
「馬鹿だな」
ぞくりとしながら、木戸はようようそれだけ言った。
たしかに、奥にもう一人匿している。
しかしそれは女ではなく土佐二十四万石の隠居大名で、木戸と情を通じた男なのだが。
そうして今、自分は彼の手で牝にされている。木戸は女たちに満遍なく笑いを振りまきながら、その苦笑にまぎらして溜息をついた。容堂の手が、中を犯すそれをゆっくりと動かしている。
「そう、いいわ、伺わないことにします」
相身互いですもの、向島の女は口が堅うござんすよ。姐さん芸者がそう言うと、皆どっと笑った。
「ねえ、でも、あたしたちもまた呼んでくださいな」
「ああ……、」
そうだな、と言いかけて、木戸は咄嗟に唇を噛み、下を向いた。容堂に嵌められた玩具に、不意に奥の一点を突かれたのである。
「あら、」
と、女が眉を曇らせた。
「どうなすったんです」
「いや、」
木戸は下を向いたまま首を振った。
「ちょっと、疝気でな……」
「まあ、そりゃいけませんね」
女がほとんど身を乗り出さんばかりにして木戸の顔を覗き込む。その間も容堂は容赦なく木戸の中を嬲った。
「ん……っ、」
「ひどい汗ですよ」
ちょうど女の正面を行きすぎる。気づかれまいと、木戸は固く拳を握った。異変に気がついて、船頭が舳先のほうから顔をのぞかせる。
「ちょっと岸へよせましょうか」
「いや、」
木戸ははげしくかぶりを振った。
「いいんだ。すぐやむから。……やってくれ」
「はあ」
それじゃ、と船頭がふたたび櫓をあやつる。二艘の舟はそのまま行き違い、
「お大事になすってくださいましね」
女の声が艶に尾を引いて遠ざかった。
互いに顔の見分けがつかないほど離れてから、
「あ……あ……」
木戸は窓から手を滑らせ、胸から畳にくずおれた。
「いかんな、」
容堂がその手をとらえてふたたび桟に載せようとするのをすり抜けると、ぱんと音をたてて障子を閉めた。
「おい、」
不機嫌そうに体をとらえようとするのをふたたび躱し、
「容堂様」
自ら体を返して仰向けになった。
「もう……」
脚をひらき、手で尻を割りひろげて、そこを晒す。
「願わしゅう、ございます……」
「ほう」
容堂が舌なめずりをする。その音は聞こえないはずなのに、木戸には彼の情火の滾る音で、体の中を埋めつくされる気がした。
「張型で、か」
「いえ、」
汗が飛び散りそうなほどに首を振る。
「どうか……」
目顔でねだると、ふ、というかすかな笑い声とともに容堂の手が伸び、勢いよくそれを引きぬかれた。
膝頭が肩につくほど木戸の体を折りまげて、容堂がのしかかってくる。
「あああぁあっ」
張型を抜かれたときはどうにかこらえたが、容堂の熱さに深々と貫かれる感覚に、木戸の喉奥からあられもない声が迸った。
「旦那、」
と船頭が駆けてくる音がする。
「どうなさいました。やっぱりもうお降りなすっちゃどうです」
戸口を叩かれて、
「いいから」
つい叱りつけるような口調になった。
「永代橋まで行きたいんだ」
「少し休んでからになすっちゃ……」
「いいんだ、早く」
不承不承といった風情で、船頭の足音が遠のいていく。その方向をちらりと見上げながら、容堂が忍び笑った。
「儂はかまわぬぞ。休んでからでも」
すでに深く入ったそこを、とどめとばかりにさらに押し上げられて、木戸は容堂の肩にしがみついて泣いた。
「や、いきた……」
「永代橋まで、か?」
くっくっと、さも可笑しそうに喉を鳴らす。
「容堂様……」
もどかしさを抑えかねて、自分で腰を揺らす。声を、かろうじて噛みながら。
「ふ、ぅ……ん……」
張型よりも、よほど良かった。
容堂のそれは隅の隅まで木戸の体を知っていて、熱いぬめりを帯びながら、先端の張り出た部分を巧みにつかって、隈なく中を犯してゆく。互いに濡れそぼり、肉を絡ませあう淫らさと睦まじさがたまらなかった。
「お前は本当にこらえ性がないな」
溜息をついてみせながら、容堂は木戸の太腿をつかみ、自分の腰に引きつけて、さらに深く激しく犯す。そうしながら引きちぎるように襟を披き、すでに固くしこっていた乳首に歯を立てた。
「さっきの妓たちだがな、」
「……ん、」
「ひとりぐらいは、寝たか」
「っあ、」
乳首をくわえながら尋ねられて、体がひとりでに跳ねる。そうするごとに繋がった部分がよりしたたかに容堂に喰らいつき、さらなる快感を木戸にあたえる。
「答えられぬのか」
根本を噛みながら、ちぎれるほど強く吸われた。
「――――――、」
声にならない悲鳴をあげ、無意識に逃れようとする体をきつく抱かれる。もう、女の顔など、忘れた。深い法悦に恍惚となりながら、しかし一点木戸の意識をよびさますものがある。
――のがれたい。どうしても、それから。
すべて熔けきらせて交合のよろこびに溺れるため、容堂の肩から手を滑らせると、彼の懐に差し入れた。
一体、それがどこまではっきりとした意志だったのかわからない。
ただ木戸の顫える指先は、何度かためらいながら、そろそろとそれをつまみあげた。
「ん?」
懐から取り出された木戸の白い指先を、容堂が見おろす。
「ああ、それか」
木戸の手には容堂の懐から取った匂袋があった。
「そういえば入れたままになっていたな」
片眉をあげて容堂が笑う。
「それが、気になるか?」
言いながら中を擦られて、木戸は返事もできない。臓腑を剔るような容堂の大きさが、危ういほどの眩暈をもたらす。
容堂の、汗のにおいがする。よく知ったそのにおいにまじって、さっきまでよりも濃く漂う芳香に、木戸はどうしても落ち着かず、眼に涙を溜めて、訴えるように容堂を見上げた。
「まあ、よい」
と、容堂の節くれだった指が木戸の手からそれをとりあげる。
「お前が気になるなら、置いておこう」
脱ぎ捨ててあった羽織をつかむと、匂袋をそれでぐるぐると巻き、部屋の隅に押しやった。
「さ、達かせてやろうな」
膝を抱えなおされて、木戸はうっとりと眼をほそめると、容堂の腰に脚をからめた。
それから、木戸が指定したとおり永代橋のあたりまで、船頭は疝痛(だと信じている)の木戸の体を気遣ってかゆっくりと舟をはこんだ。常よりもながく川面を走ることになった舟のなかで、木戸は容堂と繋がったまま何度か精を散らし、体の奥に彼の慾のしるしを受けとめた。
最後に容堂がひとしきり放ったとき、木戸はもう指の一本も自分では動かせず、容堂が自分のなかでびくびくと脈打つのにあわせて顫えながら、いきすぎた快楽にだらしなく涙を流していた。
「ん……、ふ、」
ずるずると引き抜かれる感触にすら、背が痺れる。容堂が出ていくと同時に、繰り返し注ぎこまれたものがこぼれ落ちるのがわかって、木戸は寂しさにそっと眉根を寄せた。
容堂はさっさと起きあがると手拭いを川の水で濡らし、自分の体をかるく拭って衣服をつけた。
「お前もしてやろうか」
ぐいと手拭いをつきつけられたが、容堂にそんなことをさせてはという思いと、それ以上に、もうすこし交合の余韻に浸っていたい気持とがあって、曖昧に微笑んだまま、だまって首をかしげた。すると容堂は口の端で笑い、病人にするように、濡れ手拭いを木戸の額の上に載せた。
そうして、
「やはりお前を抱いていないと冷えるな」
木戸の体に彼が脱がせた襦袢を投げかけてから、火鉢の脇までいざっていく。途中、丸めてあった羽織をひろってひっかけようとすると、
「ああ、」
例の匂袋がこぼれた。
「……帯地の余りでしょうか」
木戸は額の手拭いに手をやりながら、小さな声で問いかけた。さっきは袋の柄どころではなかったが、今あらためてよく見ると、それは美しい錦地だった。おそらくは、玄人女のものだろう。
「そうらしいな」
容堂は、子供がお手玉でもするように両手のあいだにそれを投げ交わしている。
(おや)
と木戸は思った。それを弄んでいる容堂の表情に、どことなく含羞らしいものがある。
(この仁が)
匂袋はおそらく、それとおなじ柄の帯を締めた妓からもらったのだろう。いつも女自身の香りに包まれていよとの贈り物はなかなか艶な趣向だが、それはともかく、この一種老獪な、世知で煮しめた妖怪のような男が、いまさら若僧みたように商売女に惚れたのだろうか。
(意外な)
と思って眺めていると、容堂はふとそれの紐をつまみあげて目の上にかざすと、
「松菊は、この匂いがきらいか」
匂袋を見つめたまま言った。
「いいえ」
答えながら、木戸はゆっくりと身を起こした。まだ頭の芯がぼうっとしていて、四肢に力がはいらない。
「よい香りだと思いますが」
「思うが、なんだ」
「そういうものをお持ちとは思いませんでしたので」
どうもなにやら、別の方のようで、と、そこで木戸はあの香りに抱かれた感覚を思い出す。ぞくりとしたものが体を走るのを感じて、片手で肩を抱き、うつむいた。
「ふん」
容堂がきろりと眼を光らせて笑う。
「普段の儂のにおいがいいのか」
お前はそういうところがいかにも物狃れておるな。そういわれて、木戸も苦笑する。
「これからはその香りも覚えておきましょう」
「可愛くないのう」
そういうが商売女だって口ではおぼこいことを言うかもしれないが、結局手練れにかわりないではないか、と思ったが、さすがにそこまでさかしらな口はきかない。かわりに、
「どうかなさいましたか」
情交の痕をのこしたまま、襦袢の前をあわせながら尋ねてやる。
「この界隈でしたら、およびになってはいかがです」
容堂が近頃よく深川で遊んでいることを木戸は知っている。帯地の主は、あるいはそのなかにいるのではあるまいか。すると容堂は一瞬はてという顔で木戸を見て、
「ああ、女の話か」
そっぽをむいて、興うすげにつぶやいた。
「これを儂に託した女は、もう色の恋のという齢(とし)ではないわ。昔の帯地を解いてつくったといって、若い妓たちに配っておった。面白いから、儂もひとつもらったのよ」
「はあ」
「あれがもっと若ければ、まあ悪くないがな。生業が生業だけに、酒がならぬとはいわぬだろう」
「酒……」
木戸は着物をつける手をとめて、
「酒、が、どうかなさいましたか」
「うん?」
容堂は木戸をふりかえると、それからちょっと苦にがしげに唇をゆがめて、
「なに」
きまりわるいのか、面映ゆいのか(彼らしくもないことだが)、
「越州殿がな」
火箸で灰をかきまぜながら、低い声で洩らした。
「春嶽公……でございますか」
その人を、木戸は無論知っている。参朝すれば当然顔をあわせるし、そうでなくとも往き来があった。見るからに寛厚の君子人である春嶽は、容堂とはずいぶん性質がちがっているが、人に城壁を設けないところはよく似ていて、木戸の何を気に入ったのか、しょっちゅう酒席に招いたり、まれには木戸の邸へ駕を枉げることもある。木戸もまた、温雅で聡明なこの賢君が好きだった。
その春嶽と容堂の交誼が深いことは、旧幕の頃から、世人のよく識るところだった。
「春嶽公が、何か仰せで」
かさねて訊くと、容堂は自分がつい口を滑らせたことが業腹だったのか、鼻の上に皺を寄せ、
「酒臭い、というのよ」
低い声で早口に言った。
「あちらも飲まぬではあるまいに」
なぜ自分だけがそういわねればならないのかと不服げに、
「酒の燻しあがったような、二日酔いの臭いがあるだろう」
「はあ……」
「あれがするといわれるのよ」
自分の襟をもちあげ、こころもち寛げるようにしてみせる。
(それは、つまり……)
口からではなく、肌から臭うということか。
(つまり……)
いつどういう状況でいわれたのかなどと、無粋なことは木戸は訊かない。ただそっと容堂から視線をはずし、頬の皮一枚でにんまりと笑った。
(ずいぶんと骨抜きにされておいでではないか)
なるほど、ただの政友、詩友ではなかったわけか。少なくとも容堂のほうでは。
木戸は春嶽のいかにも貴公子然とした、細面の美しい姿を思いうかべた。
(酒臭い、か)
たしかに年中盃をはなさぬ容堂からは、それらしいにおいがしないでもない。特に、汗をかいたときには――。
しかし、
(まるで少年のようだな)
仮に自分が酒臭いなどと言ったところで、意に介する彼ではなかろうに。春嶽に対しては、よほどうぶなところがあるとみえる。
「笑ったな」
「笑いませぬ」
涼しい声でとぼけてみせてから、
「それで、匂袋の霊験はあらたかでしたか」
「まだわからぬ」
「お会いいただけない?」
「うるさいぞ。あちらも儂も忙しい身だ」
「そうでございましたか」
いつも閑適の隠居ぐらしだなどとうそぶいているくせに、とは思ったが。
「仰せのとおり、春嶽公もなかなかどうして、左手はお達者でおいでですから……」
木戸はちょっと盃をかかげるしぐさをして、
「酒のにおいをさほどお気になさるとも思えませんが……」
「では、なんだと申すのだ」
容堂はやたらに箸を突き立てて、炭を割っている。子供のようなしぐさである。
「なにか、ご無体をなさいませんでしたか」
「…………」
問うと案外まじめに、首をひねって考えている。
「いやだと仰せになったときに、お強いあそばしたり……」
「いやだくらいのことは、お前も言うではないか」
「私と春嶽様とではちがいましょう」
私がなれていると仰せになったのは容堂様です、と言うと、容堂は険のある目つきをさらにけわしくして、口をひきむすび、炭を割る手をとめた。
「お心あたりがおありですね」
「しかし、松菊」
「おそれながら、それは容堂様がいけません」
御殿の老女中かなにかのようにぴしゃりと言ってやると、可哀相な容堂はぐっと言葉に詰まった。
「……では、どうしろというのだ」
「さあ……」
舟の揺れがさきほどまでと変わっている。じき桟橋につくのだろう。木戸は障子をほそく開けてあたりの景色をたしかめながら、
「それは、容堂様がお考えあそばしませぬと」
目顔で容堂を窓際へさそうと、岸の木々を指ししめして、
「楓も松も、手折るのはたやすうございますが、さて庭に移し植えるとなりますと」
それは多少のお骨折りをお覚悟でなければどうにもなりますまい。ほつれた毛をかきあげながら微笑んだ。容堂はぶすりと口をとがらせて、
「どんな風にも靡いては折れ、靡いては折れして、それでも枯れぬ木もあるというにな」
眼のはしで木戸を睨んだ。
「そういう野育ちの草木は、所詮それまでの味わいでございますよ」
ぎっ、とふなばたが軋む音がして、舟がつけられた。
お加減は、と、戸障子のむこうで問う船頭に礼をいうと、
「さ、義士の渡った橋でも観にまいりましょう」
なにか晴ればれと、愉しい気持だった。
いつも世を逐われた拗ね者のような顔をして廟堂を睥睨している男に、意外な可憐の顔があることが可笑しかった。
(この道ばかりは……)
百世を経ても渝わらぬものだと、くだらぬといえばくだらぬ感慨ではあるのだが、木戸はあらためて面白いものを発見した気がして、そうしてその感じは、妙に心丈夫だった。
(たとえば、硬骨の鋳物師のような男がいなくなったとしても――)
それらのおそらくは尊いであろうものたちと一緒くたに考える愚を、知らない木戸ではなかったが。
徒花が何度咲いたところで、常磐木の緑の色にくらべるべくもない。
それでも交歓の痕のように日ごと夜ごと消えてゆくものたちのなかで、せめて変わらぬというその一点のみをもって、嘉祥せねばならぬのが今なのだ。
(馬鹿げているのかもしれないが――)
それはべつに容堂の色恋のことではない。
からりと澄みきった寂しさのなかで、木戸は波紋の照りかえしが鱗のように揺れる青畳の上に、そっと瞑目した。
「まいりましょうか」
思い切るように顔を上げると、秋の光の洩れる戸をさっと開けはなち、沿岸の木々の錦に照らされながら、容堂をふりむいた。
まだ、春嶽の拒絶について考えているのだろう。にがりきった仏頂面がうなずくのがなんともいえず気の毒で、
「お心持のおさまらないときは、いつでも私が」
気がついたらそう言ってしまっていたのも可笑しく、木戸は口もとを覆いかくして笑った。
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