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以前に上げたこちらの代物 はひとさまがお考えになった設定をパクr……
もとい大いに参考にさせていただいたものでして、 実はそれ以前に自分でこさえたものがあったのです。 なんかいまいち萌えないわービンビンこないわーと思って お蔵入りにしてたんですが、再生可能エネルギー的なアレで上げておきます。 広沢×木戸のお初という設定や、なんだか細かい部分は 使い廻しておりますので、まあかぶってます。 そのへんは平行世界()の出来事だと思し召しくださいませ。 でもって大方お察しのことと存じますが、わたくしタイトルを考えるのが苦手でして、 今回はもう廃品処理ですし、面倒なので無題で載っけときたいと思います。 以下に畳んでおきますですのことよ。
言ったところで、彼は取り合うまいとわかっていた。しかしそれでも言ってやらねばならないと思ったのは、宵の蒸し暑さにいぶしだされた、ただの気まぐれだったろうか。
「手ぬるい――」 広沢は渋い顔で、みじかく呻いた。その手に、木戸から渡された報告書の束がある。内容は、版籍奉還を見据えての山口藩庁との交渉案である。 御所の一角に、かれら参与の詰所がある。窓際に机を据えて、しきりに書き物をしていた木戸は、ちょっと手をとめて広沢を見上げたが、微笑したぎりなにもいわなかった。 「手ぬるいのじゃないか」 仕方なく広沢はもう一度、今度は語気をわずかにゆるめて言った。 「もうすこし締めあげてやったほうがいい」 「そうかな」 木戸は微笑をくずさずに、かるく首をかしげる。自分が今から言おうとしていることへの、木戸のやわらかな拒絶をそこに感じて、かえって広沢の舌は熱した。 「条理をつくして説いてやったところで、連中にはなから聞く気があるものか。二言めには逆臣、不忠者、だ。公議輿論もけっこうだがな、奴等に好き勝手に囀らせているばかりでは、とても政令一途に出るようにはなるまいよ」 「といって、なあ」 木戸は溜息をついた。 「実際囀っているだけなんだから、ふん縛ってしまうわけにもいかないだろう」 「やりようはあるさ」 「物騒なことをいうなよ」 木戸はふたたび料紙に目を落として、さらさらと筆を走らせた。しまいまで書いてしまってから筆を擱き、机を脇に押しやって、広沢に向きなおった。 「御一新の前ならともかく、いま乱暴な手をつかっては、ことは藩(くに)のごたごたでは済まない。朝威に傷をつけるようなことは……」 「わかっているさ」 広沢は書類の綴りを閉じ、木戸の膝のほうへ押しやった。 「しかし何も俺だっていちいち連中をつかまえて首を刎ねてしまえというんじゃない。ただ方法があんまり迂遠にすぎやしないかと言ってるんだ。ぐずぐずしているうちに、またぞろ俗論党みたようなのが頭をもたげてくるだろう。そうなったら、癸丑以来の苦労も――」 「水の泡、だな」 「笑いごとじゃないだろう」 「笑ってないよ」 広沢に返された書類を取り上げて、見るともなしに開き、また閉じて膝の上に載せる。俺はよくわかっているつもりだ、とつぶやいた顔は、心なしか疲れているようだった。 「望みがないわけじゃない。まるで話のわからん連中でもないよ」 「そう悠長にしていられるか。会津だって今のままではいつ陥ちるかわかったものじゃない。もし国のほうがまとまらずに、腹背に敵をうける羽目にでもなったら……」 「会津とは問題がちがう。無理に抑えつけて禍根をのこすほうが、あとあとよほどやっかいだ」 「おまえはいつもそうだ」 広沢のいらだちに、木戸はこまったように眉を下げ、しかしやっぱり微笑でむくいた。 よくわかっている、という彼の言葉を、広沢は信用しないわけではない。実際、彼はわかっているだろう。浦賀の騒動にはじまって御一新にこぎつけるまでの十余年間に、木戸が舐めた辛酸は並大抵のものではない。それは広沢も知っている。知っているからこそなお、木戸の温柔さがもどかしかった。 この閏四月、浦上の耶蘇教徒の処分にあたるため神戸を出港した木戸は、途中、山口に立ち寄った。 藩庁に顔を出した彼を、庁内の人間はかならずしも温かくは迎えなかったにちがいない。広沢にもそれはたやすく想像がつくし、木戸もとうから覚悟の上だったろう。 格段の名家の出でもなく、藩公のとびきりの寵臣というのでもない木戸や広沢が朝廷に出仕して、ともすれば藩を軽んずる――と、かれらには見えるらしい――風があるのを、藩庁のある勢力はとみに疑惑していた。薩摩と結んだことさえ、いまだにかれらは納得しない。 結局、木戸はかれらとはほどほどに話し合い、かれらの不満にもなるほどそうかと頷いてやり、版籍奉還の腹案は、内密で藩公に奏上した。 「ただちにおゆるしがあった」 と、木戸はひそかな安堵を広沢にうちあけたが、彼の顔にはよろこびとともに、淡いさびしさの翳があった。 そのさびしさのために木戸が遅疑しているのではないかとまでは、広沢は思わない。しかし、藩公が慎重にせよと釘をさされたという、その君命とはべつの場所で、木戸にためらいがあるのはまちがいがないだろう。無論彼は版籍奉還は断乎としてやりとげるだろうが、そこへ入るにちがいない種々の邪魔については、大鉈をふるってこれを退けるということはしないだろう。現に彼は今や不平の徒の吹き溜まりのようになっている諸隊の連中にも時間をつくって会ってやり、隊士の暮らしぶりまでこまかく聞いてきたらしい。 (聞いてどうなるものでもあるまいに) と広沢は思う。 「そんなに、」 とおもわず洩らした。 「そんなにあっちを顧み、こっちを振り向きしたところで、どっちそっちも立つような上手い具合にはいかんぞ」 「うん……」 木戸はいくらか気恥ずかしげにうなずいた。 「それは道理だが、それでもなるべく、な」 「俺は感心せんな」 「お前はそれでいいさ。鬼神も斬り伏せる勢いでやってくれ。俺は俺で、迷惑はかけないようにするから」 「かけないようにといったってお前……」 広沢は襟首を掻いた。蚊に喰われたらしい。日が沈んでもなお余熱が去らず、着物の下の肌は汗ばんでいる。 広沢の太い指がぼりぼりと肌をかくのを、木戸は涼しげに目をほそめて見つめている。 「なんとか説いてみるさ」 声までが涼しく響くのを、広沢はいささか業腹に聞いた。 国の連中の不平にも、同情できる点がないではない。しかしそれをいちいち気にかけていては成る仕事も成らないではないか。第一自分たちは何も後ろ暗いことをしているのではない。 しかしそのいらだちは、すぐあとに彼が余計なことを口にした言い訳にはならないであろう。 「そんなことだから」 と、そのとき広沢はつい、口をすべらせたのである。 「だからお前はつまらぬ噂をたてられるんだ」 「噂……」 「そうとも、お前は、」 「まあ、何でもいいじゃないか」 木戸はかるくいなした。 「もうしばらく、大目に見ていてくれないか」 「俺までたぶらかすつもりだな」 要らぬことを言った、と気がつく余裕は広沢にはなかった。しまいまで言わないうちにはぐらかされて、かえって気がせいた。 「たぶらかすはひどいな」 木戸は歯を見せて笑った。 「こうして頼んでいるのに」 「それなら」 あとからおもえば、あのときは完全に頭に血がのぼっていたのだろう。広沢は女のような嫌味などついぞ口にしたことがなかったのに、どうしたはずみか、馬鹿なことを口ばしった。 「それなら、寝るか。俺とも」 え、という顔を木戸はした。尋常の会話のなかで、そこだけ聞きとりにくかったときのような、平静な表情だった。その顔にも、じり、と胃のあたりが熱くなる。 「知らないか。お前が言うことを聞かせたい相手には、誰かれ問わず尻を貸すんだといわれているのを」 そう。旧幕の頃から、木戸の名声を嫉視する連中のあいだに、そういう中傷がおこなわれていた。程度の低いいやがらせだと思ったが、同志のうちにまで面白がってそれを言う馬鹿があったので、広沢は二、三発殴りつけてやったことがある。その顛末を、木戸は知らないだろう。 噂そのものを木戸自身が耳にしたことがあるかないか、広沢は知らない。しかしいずれにしたところで、まさか本人にそれを言うつもりなど金輪際なかった。 ――――が。 (噂される素地は木戸にもあるではないか) やるせないような悔しさとともに、広沢はそう思う。思いながら、いくらなんでも失言したという気まずさと、それ以上に自分がこれほど卑怯な侮辱をひとに加えたという事実に、愕然とした。夏の暑さに似あわぬ冷たい汗が、気味わるく背を沾す。 木戸は、さすがに黙りこんだ。 怒っただろう。眉間に皺が寄せられている。他愛ない冗談ですませるには、広沢の口調が激しすぎていた。 「あ、その……」 謝ろうとしたとき、 「今日……か?」 木戸が小さくたずねた。 「は?」 「お前をそんなことで味方にできるとも思えないが……でも、そうしたいと言うならそれでも……」 決してお前を甘く見ているんじゃないから、それだけはわかってくれ、と、木戸はあべこべに弁解した。広沢は大きな目玉をぎょとぎょとと動かした。 「いや、何を言って……」 「ただ、」 木戸は目をふせて、襟をかきあわせた。 「今夜ということならちょっと……明日じゃだめか?」 「明日じゃ、だめか?」 つい、鸚鵡返しに訊いた。声がうわずっている。明日じゃだめかというのは、つまり、何か。明日なら……――――。 「じゃあ、お前まさか本当に――」 「今日は出掛けなければならないんだ」 呼ばれている、と木戸は言った。誰にもいうな、という前置きのあとで告げられた名前は、広沢もよく知っていた。 「あの男は、しつこいから……」 「しつこい……」 しつこい。しつこいのか。たしかにあいつはしつこそうだ。広沢の脳はまるで上滑りにそんなことを考えた。そのくせそれを消化する感情のほうが追いつかない。どう理解したものかわからないが、それでもことがあまりに意想外であるという、その焦りだけは胸が悪くなるほどに烈しく感じていた。 木戸は、広沢のようすには気がつかないらしい。彼は彼で、広沢にいわれたことに戸惑っているらしかった。視線が落ち着かない。 「お前まで相手をしていては体がもたないんだ。だから、明日……」 「この、」 木戸がいいおわらないうちに、広沢の両手が、その肩を強く押していた。 「この馬鹿っ!」 喉がやぶれるほど叫んだ。 木戸は、あるいはよけられたのかもしれない。しかし彼はおとなしく畳の上に転がされていた。背中を打ったのだろう、かるく噎せた吐息が、馬乗りになった広沢の鼻先にかかった。その感触にもかっと腹の血が逆流する。 「馬鹿って、お前……」 「馬鹿だろうが」 俺は、ちっとも知らなかった。絞りだすような声でそう言うと、木戸ははっと目を見ひらき、黒い瞳をかすかにふるわせたあとで、 「そうか」 淡く笑った。その顔が、ひどくにがく、広沢の喉奥に沁みる。 「なんだってお前がそんなことをしなけりゃならないんだ」 肩をつかんだままの手にいっそう力をこめる。木戸は別に痛いともいわなかった。 「実際そんなことで転ぶ輩がいるんだから、人の志操というのも案外あてにならないな」 「そういう下衆どものことはどうでもいいんだ。お前は――」 言いかけて、唇を噛んだ。なんだ、と促されたが、広沢は顔をしかめたまま、ふいと首を横に振った。 ――お前は、それでいいのか。 それを聞いてどうするというのか。いいというなら結構だが、もしいやだといわれて、どうにかしてやれる自分ではないのに。 「いつからだ」 肩から手を離し、押し倒した拍子に乱れた鬢の毛を、そっとかきなでてやった。妙なしぐさだと思ったが、この場合にはいかにもそれが自然に感ぜられた。木戸は広沢の指先を目で追いながら、 「いつからだったかな……」 気だるそうな顔でつぶやいた。 「知らなかった」 と広沢はもう一度言った。 「うん」 木戸がうなずく。 「いいんだ。それで」 (何を言っている――――) いいわけがないだろう。広沢は奥歯を噛みしめた。 馬鹿にしている、と思った。 広沢は木戸と特別に親しくしているわけではない。しかし、同志ではあるつもりだった。木戸が男たちに体をひらいてきたのがその志のためならば、広沢がそれを知らなくていいという道理があるだろうか。 (自分ひとりでわかったような顔をしくさって) 俺だって――――。 女のような感情が、肚の底からわきおこった。 「俺だって、人にいえぬ苦労はあるんだ」 「うん」 木戸の眼がまっすぐにこちらを見返して、広沢は喉奥から酸いものがこみあげてくるのを感じた。 「そうだろうさ」 広沢も一時は投獄されたこともある。藩が危地に陥った当時の、役付としての言いあらわしようのない艱苦を、木戸はおそらく、ほぼ広沢の実感にちかいかたちで理解しているだろう。 それでも、そのいかにもものわかりのよさそうな温顔が、今日ばかりは癇にさわった。 「お互い、ずいぶんいろんなことがあったものな」 そう言いながら体を起こそうとした木戸を、突き飛ばすようにしてもう一度畳に縫いつけた。 「広沢、」 木戸は、今度は不覚をとったらしい。体を打ちつけられた痛みに眉を寄せながら、掛け値なしにおどろいた顔で広沢を見上げた。 「そうだな。いろんなことがあった」 木戸の腰の上に乗り上げて、広沢は低い声で言った。 「そういう諸々の古傷ごと、抱き合ってみるのもわるくないな」 「おい……、」 広沢の手が木戸の襟を披く。 「よせ、嫌だ、」 「どうせ明日ならいいんだろう……?」 暴れようとする木戸の腕を、無理矢理おさえつける。たぶん、力は互角だろう。しかし木戸ははなからひるんでいるところがあった。勢いにまかせているぶんだけ、広沢のほうが有利だった。 「すぐに済むからおとなしくしてろ」 「ふざけるな」 さっきは抱かれてもよさそうだったくせに、押さえられながらも木戸は抵抗した。広沢が何も知らなかったことが、よほど意外だったのだろうか。 「い……っ!」 なんとかして広沢の下から逃れようとする木戸の股ぐらを強く掴んだ。木戸がびくりと動きをやめる。 「本気、なのか……」 それには答えず、広沢は手をいそがせた。木戸はもう体で抗うことはしなかったが、それでも、ゆるしてくれ、と何度か言った。その声が、ひどく悲しそうだった。 「もう、いい」 懐紙で下腹のあたりをぬぐっていた広沢の手を、木戸はそっとふり払い、剥かれたままになっていた着物をかきあわせながら身を起こした。 「大丈夫か」 と尋ねたのは、広沢なりに謝罪のつもりだった。木戸の体が落ち着いた今、殴られることも覚悟していた。が、木戸はかるくうなずき、自分の腹に手をやった。それから広沢の手に丸められた懐紙を見やって、 「やさしいな」 しずかに微笑した。 それは拭いてやったことではなく、腹の上を汚したこと――木戸の中で吐精しなかったことを言っているのだろうと、広沢にはわかった。 「誰が優しいもんか」 広沢は手の中の懐紙を握りつぶし、ぐっと唇を噛んだ。 (――そんな顔をするな) 木戸の微笑はあくまでやわらかく、そうして寂しそうだった。悔いているようにも見えた。 (悲しければ、なぜ) 自分を責めないのか。広沢は木戸の肩をゆさぶってそう問い質したい衝動に耐えている。 (俺は、お前を犯したんじゃないか) 叩き殺されても文句は言えないと思う。しかし木戸は、まるで心から睦みあったあとのように広沢の手に自分の手をかさね、 「気を遣わせたな」 と言った。 「今さら行けないと言ってやるわけにもいかない相手だから……悪かったな」 (馬鹿か貴様は) 口をひらけば怒鳴りつけてしまいそうで、怒鳴ったついでに手のひとつも出そうで、広沢はやっぱり唇を噛みしめて耐えた。 それでも、もういよいよ立って出て行こうとする木戸へ、 「大丈夫、なのか」 背を向けたまま、低い、押し殺した声で尋ねた。 木戸が振り向く気配がする。彼の顔は、きっとひどくやさしいのだろう。 「加減してくれたじゃないか」 まるで感謝してでもいるような、その声。 「そうじゃない」 広沢は両膝の上で拳を握った。 「お前は、なぜ俺に抱かれた」 あくまで嫌だと喚かれれば、それこそ罵倒されでもしたなら、自分はきっと思いとどまった。言い訳のようだが、あのとき木戸にもたしかに、広沢を拒むことに迷いがあった。 そうして―――― 『兵、助……』 貫いた瞬間、木戸は目を潤ませて広沢の名を呼んだ。広沢の指がその肌をたどるごとに、組み敷いた体が甘くふるえた。 広沢がすんでのところで中から退き、木戸の腹の上で果てたとき、彼はおそらくほっとしただろうが、それと同時に、なにかあきらめたような、哀しげな表情を見せた。 「準、」 広沢は答えずにいる木戸を振り返り、最中とおなじ声で、同じ名で呼んでやった。木戸の微笑がわずかにこわばる。 「お前、本当は行きたくないのじゃないか」 それも、心底、身がちぎれそうなほど。 聞いたからといって何をしてやれるわけでもない。咎めるのは簡単だが、木戸がそうでもしなければまとまらないと覚悟したほどの折衝に、たやすくほかの手を打てはしない。ましてや、自分が木戸の身代わりになれるものでもない。 それでも、知らぬふりで見送ることは、できない自分になっていた。 「準」 立ち上がり、正面から木戸を見据える。木戸は二、三歩後ずさったが、やがておとなしく、広沢の腕の中におさまった。 「大丈夫だ」 つぶやいた唇をとらえようと顔を近づけると、はっとするほどのしたたかな眼差しがそこにあった。あえかに笑っているだけに見えたのに、この男はいつからこんな眼をしていたろうか。 「あの連中に俺を犯せるものか」 「しかし……」 現に、抱かれているではないか。そう言おうとした広沢を遮って、 「平気だ。何をされても」 言い切った木戸の、いっそものすさまじいほどの清冽さに、広沢は数秒の間、粛然と打たれた。 (ああ、なるほど――……) いくら体を弄ばれても、決して傷つくことはないのだと木戸の眼は伝えている。そんなことでなにも喪いはしないのだと――。 広沢が何も言えないでいると、木戸はするりとその腕から抜け出た。 「誰にも、何ひとつ犯せるはずはないと思っていたんだがな」 彼はこころもち面をふせ、上目遣いに広沢を見上げた。いたずらをした子供のような目だった。 「それでもお前には、うっかり何か持っていかれたような気がするよ」 「ふん」 木戸が離れていった両腕の置き場のなさに、広沢はむずと腕組みしながら、唇のはしで笑った。 「俺からは返してやらないからな。欲しければ自分で取りにくることだ」 うっすらと火照りをのこした木戸の頬が、あざやかにほころんだ。 「行ってくる」 木戸の背中が襖に隔てられ、さらに足音が遠くなっても、広沢は彼の去った方向を見つめたまま、薄闇のなかに立ちつくしていた。 夜の熱気にじわりと包まれた体は、まだ生々しく木戸の肌をおぼえていた。彼の匂いやしぐさ、声のひとつひとつを反芻しながら、このまま夜の白むまで、こうして木戸を抱きつづけようと思った。 (俺は、何も知らなかったんだぞ) 記憶のなかの体に、一種のうらみをこめて、そう訴えた。 明け方には、彼は戻るだろうか。彼のかすかな溜息が聞こえた気がして振り返ったが、それは庭の虫の音だった。 PR |

