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【2026/04/05 05:59 】 |
高杉×桂
魔王173歳おめっとー。

ですが誕生日にはまったく関係ない話です。
ちょうど今ぐらいの時期を想定して(つまり旧暦の魔王誕辰日ではない)
書いたものですので……。

なんとなーく文久元年夏のつもりですが、魔王の暑気中りはもちろん
桂さんのおてまみその他まるっと嘘っぱちです。
いつものことですね☆

いつものことついでにやっぱり大人向です。


以下、よみものでございます。


『頬の翳に、夏』
 日ざかりのなかを出るのではなかったと、道中すこしばかり後悔した。けれども驚いた顔で自分を迎えた彼を見て、――そうしてきっと叱られるにきまっているのだが――体を覆っていた怠さも、炎暑を呪った気持も忘れた。
 「晋作、」
 そのとき桂は、文机を出して何やら書き物をしていた。部屋の隅ではずいぶんとうの立った芸妓がひとり、低く三味線を鳴らしていたが、まさか艶書ではあるまい。桂は書き仕事に倦むと、時折こうして料理屋の二階などへ来て、まだ子供のような半玉や、あるいは反対にばあさん芸者を――つまりは仕事の邪魔にならないような女を呼んで、笛や三味線をやらせ、自分はその音を聞きながら筆を走らせていることがあった。
 ぽつん、と女が撥の手をやすめた。
 「おまえ、もういいのか」
 言いながら桂は筆を擱き、机を横にのけた。招かれる前に高杉はのしのしと座敷へ上がり、桂の正面に腰を下ろした。女は、さすがにそこは年の功で、桂と高杉とに交互に一礼すると、三味線を抱えて退がっていった。
 「どうしたんだ」
 と桂が膝をすすめる。
 「いやまあどうしたといって」
 高杉は天井を見上げ、耳のうしろを掻いた。別に用事があったわけではない。ただ床を払ったら真っ先に桂のところへ行こうと思っていた。それで今日出てきたら桜田の藩邸に桂は不在だった。そのかわりにおそらくはここだと聞いたので、その足で早速やってきたのである。
 「快気祝いに来たんですよ」
 しれっとして言うと、桂は溜息をついた。
「自分でのこのこやって来る病人があるか」
 「病人じゃありませんよ。元病人です」
 「もうすっかりいいのか」
 「まあ、そうですな」
「なんだ、まあというのは」
桂が眉根をよせる。いかにもにがにがしげなその表情さえ、ほっと懐かしいものに思えた。
 
高杉が不調をおぼえたのは、半月ほど前のことだった。残暑いよいよ熾んな時期で、例年その頃の体調は爽快ではなかった。いつものことだと思って特に用心もせず、また江戸出府からまもない時期だったこともあって、談論に紅灯の遊びに、連日夜っぴて深酒をした。
いよいよ本式に暑気中りだと気づいたときには晩かった。弱り目に祟り目で、どこでもらってきたのかひどい風邪をひき、とうとう座っているのもつらくなって、たださえ暑いなかを、高熱を発して布団にくるまってうんうん言っていた。その二、三日のことはよく覚えていない。藩邸ではまわりがうるさいので、出入りの商人が今戸にもっている寮を借りて臥ていたが、暑さで体力の消耗がはげしかったせいもあって、病褥は意外に長引いた。
四、五日まえにようよう起きて歩けるようになって、それで今日は久しぶりに気分もいいので、こうして桂を訪ねてきたのである。それでも体のそこかしこに、まだなんとなく、熱っぽいようなもやもやとしただるさが残っている。
「ちゃんと養生しているんだろうな」
痩せたんじゃないか、と桂はぐいと高杉の手をとり、指で括って手首の太さをはかった。そうしてちょっと首をかしげながら、なんだかいまいましげにその手を押し返すと、
「今日は?」
と、子供を叱るような調子で問う。
「昼飯はもう済んだのか」
「ああ……いや……」
高杉は曖昧に返事して、口の横を掻いた。元来食がほそいほうである。この暑さでは何も食いたくなかった。
「いやって、お前、」
桂は情けないような声を出した。
「じゃあ朝は」
「朝寝したから……」
「ゆうべは」
「まあ……」
「お前、」
あきれたというよりも、いっそうらみがましい目で桂が睨む。病み上がりの高杉よりも、彼のほうがつらそうなぐらいだった。桂のその顔が見たくて、自分は不摂生にしていたのかもしれない。
「いや、」
と高杉は笑った。
「いくらなんでも、何も摂らないはずはないじゃありませんか」
「粥でも食ったのか」
「いや、ね、」
くっ、と手の甲を口にあてると、桂がその涼しい眼を胡乱げに細める。その視線の中心にくるように、左手をそっと掲げてみせた。
「甘露を、さ」
盃をもつ手つきを真似て、くい、と傾ける。馬鹿、と桂が言った。
「何も食わないよりわるいじゃないか」
「いいんですよ。黙っていたけど俺は仙人なんでね、霞を食ったり、露を吸ったりで生きてるんです」
ただ葉末に置く露じゃものたらないから、ちょっとばかし贅沢なのを吸ってるだけで。にっと笑うと、桂は苦い顔でそっぽを向いた。
「とんだ堕落仙人だな」
「そうですよ」
桂が顔をそむけた方向へ、ずい、と体を乗り出す。
「あんたの白脛を見て落っこって来たんだもの」
膝を撫でた手は、すぐにぴしりと叩かれた。
「馬鹿なことを言っていないでさっさとすっかり治してしまえ。そうお前を何度も臥かせておけるほど、今が悠長な状況じゃないのはわかってるだろう」
「まあ、ねえ……」
高杉は頭を掻いた。
まったく苦労性なことだ、と思ったが、言えば誰のせいだと叱られるにきまっているので黙っていた。
(俺のせいでもないけどな)
高杉の罹病で特段桂の仕事が増えたわけではない。他藩との折衝にあたっている桂と、世子の御世話役をしている高杉とではもともと職掌がちがっていた。もっとも、航海遠略策をめぐっての紛糾あり、さらに皇妹御降嫁の決定このかた、憤激の極みに達しようとする若手の暴発を防いだり、桂はちかごろとみに多忙であり、彼の危惧するその少壮血気のなかまに高杉も入っていたが、それとて直接には(高杉の主観では)さほど迷惑をかけているわけではない。まして寝込んでいたことはなおさら関係がないだろう。
それでも桂が、その繁多な御用を自分と一緒に務めている気でいるらしいことに、高杉はくすぐったいような満足をおぼえた。
「しかしですな、」
と高杉はふと意地のわるいことを言ってみた。
「やっぱり養生というなら食いたくもないものを無理して食うより、おとなしく寝ているのが何よりでしょう。それなのに、」
首をかたむけて、桂の顔を下からのぞきこむ。
「それではいかんとあんたはおっしゃる」
ねえ、そりゃ無茶というものでしょう。微笑みながら問いかけると、桂の顔がみるみる曇った。
(そういえば)
と高杉は別のことを思い出していた。
(鯉をもらったな)
大きな盥のなかをゆうゆうと泳ぐ、立派な鯉だった。いっそ飼おうかと思ったが、あとで叱られると思ってやめにした。あれは桂の、精いっぱいのいたわりだっただろう。
「とにかくどうでもさっさと治して床を上げて出てこいというんだから、なかなか非情なものですね、――昨今の時勢というのは」
最後は桂ではなく時勢のせいにまぎらして言ったのは、ちょっとからかうつもりだったのが、桂が思ったよりも悄気てしまったせいだった。彼は彼で、無理をさせたという負い目があるのだろう。
(あんたのせいじゃないのに)
あきれたような、しかしこそばゆい感覚が体の内からせり上がってきて、そのやり場のなさに高杉は笑いながら溜息をついた。
そもそも、臥せっていることを桂に知らせるつもりはなかったのだ。藩邸で寝ている頃は桂が忙しくてそう会わなかったし、その後今戸へ引っ込んだときは、上の方へは届けておいたが、表向はすでになおったふりをして、よそに起居していることについてはいつもの酔狂をよそおっていた。
それが、たまたま何かの用事があって、桂が手紙を寄越した。話があるから藩邸へ来いといわれて、ことが御用に及ぶのでは下手な嘘を構えるわけにもいかず、正直に体が悪くて寝ていると返事した。するとその日のうちに鯉が届いたのである。
――いかに被為渡候哉と案じ居候得共、弟生憎頃日多忙而外出むつか敷候間、
せめて滋養のあるものを贈るから食えと、懇切な見舞状が添えられていた。いかにも倉卒のうちにしたためたらしく墨あとは走り書きに近かったが、さすがにもともと蹟のいい桂だけあって、ところどころの墨飛びの痕さえ妙にあでやかだった。そうしてその文面には、決しておざなりでない桂の思いやりが、ふと高杉が苦しく思ったほどに滔々とあふれていた。
鯉はべつに好きではない。むしろあの生臭さが苦手なほうである。ただ、
――只管御自愛を奉祈耳に御坐候。
と、そこだけひどく丁寧な文字で書かれた手紙の末尾に、なんとなくすまないような変な気持になって、魚屋を呼んで鯉こくにさせ、鼻をつまんで食った。やっぱり旨くはなかったが、そのいかにも薬餌といった感じの風味が、ふしぎにいやではなかった。
そうして――――――……
高杉が鯉の味の記憶を口中によみがえらせていると、いつのまにか桂はむずかしい顔をして、すっかりうつむいてしまっていた。
「それは、俺だって、病体に鞭打つような真似はしたくないんだ」
「ああ、いや……」
弁解しようとするより前に、
「お前にかわる誰かがいれば、いつまで寝かしておいてもいい。だがそれが見当たらない以上は、お前の骨がすり切れるまで使い倒すほかないだろう」
見上げた目の、強い、しかしどこか脅えているような光。
「覚えておけ。天下国家のためなら、俺はそうしてお前を使い殺す」
(なにをそんな顔をして、)
高杉は神妙な顔で聞いてやったが、可笑しいような、それ以上に桂が気の毒な気がした。
(いまさらべそをかきながら言うようなことか)
桂はべつに泣いてはいなかった。が、しずかに宣したその声が、高杉にはいまにも血を喀きそうなものに聞こえた。
(殺せないだろ、あんたには)
そう思ったことはいわずに、
「おたがいさまでしょう」
とうなずいてみせた。桂の蒼白な顔に、複雑な安堵の色が灯る。
ぐらり、と自分のなかで、それまで道化にくるんでいたなにごとかの――もともとあやういものだったにちがいないなにかの平衡が、ゆっくりとゆらぐのを感じた。
(しょうがねえな)
まったく、お人好しで。苦笑したくなるのを、高杉はこらえている。お人好しは結構だが、それであんたがつらくなってちゃ世話がないだろう。しかも、それを。
(これで匿しているつもりでいるんだからな)
馬鹿だねえ。丸見えじゃねえか。――そう思ったら、無性に桂を泣かせたくなった。
「でもねえ」
と、彼の肩にふれる。
桂がびくりと首をすくませた。その表情に、にっと笑ってみせる。
「俺もやっぱり欲があるんでね。ただ死んじゃつまらんですよ」
「それは……」
「だから俺に無理を承知しろというなら、俺にもすこしだけ、わがままをさせてくださいよ」
お前のわがままはいつものことだろうとは、このときにかぎって桂はいわなかった。愕いたような、不安げな顔で高杉を見つめ、しかしやがてあきらめたように――そうしてかすかになにかを期待するように、しずかに目を閉じた。
 
「晋作」
何度か角度をかえて口づけ、襟元から手を滑らせたところで、桂の手がそれを捕らえた。
「晋作、もうよせ」
彼の視線が泳ぐ。その先に、開け放たれた窓障子があった。彼の気を咎めているのは、まだぎらぎらと肌を灼くような残暑の陽光よりも、隣室の、やはり開け放たれているにちがいない窓から洩れてくる酔客の笑い声だろう。向島でも名のとおった店だけあって、こうして昼日中にも遊ぶ客がいくらもある。いずれどこか大店の隠居か、もてあまされ者の次男か三男の風来坊といったところだろう。
そのかれらの賑わいは、まるですぐ肩越しででもあるかのように、謡の節のいちいちまではっきりと聞こえていた。こちらの物音も、おそらくは筒抜けだろう。
「よせ」
と桂はするどく息を詰めて制した。高杉はただ眼のはしで笑っただけで、ふたたび彼のうなじに唇を落とす。
「晋作……」
桂は腕を突っ張って、高杉の顔を押しのけた。その指先が、ふるえている。
「せめて、場所を」
変えてほしいと、わずかに潤みはじめた眼で懇願されても、高杉は聞いてやらない。
「大丈夫ですよ」
とやさしく――ひどく意地悪く笑ってやる。
「俺は静かにしてるから、あんたさえ大きな声を出さなけりゃ。それとも、堪える自信がないんですか」
「そ……、」
そんなことはない、と否定しようとする唇が、高杉の愛撫に早くもわななき、声を忍ぶために皓い歯に噛みしめられる。
「そうそう、頑張ってくださいね」
ゆったりと体重をあずけて押し倒すと、彼の手がどこか哀しげにおもえる力加減で、高杉の袂をぎゅっとつかんだ。
 
ひらいた両脚の膝裏から手をまわさせて、自分で太股を抑えさせる。その姿勢を桂は無論いやがったが、
「今日だけだから」
お願いしますよ、と舌のぬめりを響かせながら耳許でささやくと、今にも泣き出しそうに顔を赧らめつつ、言いなりになった。
血の色を褪めさせるほどに強く噛まれた唇が、桂の声にかわって、彼の体がうけとめる感覚の大きさを訴えている。
「ほんとうに我慢する気なんだ」
声――。耳朶を口にふくみながらいうと、きつく眉根を寄せてこちらを睨みながら、目尻からこめかみへ涙を伝わせた。
桂の体の奥のうねりを、指に感じる。覚えている場所をかるく掻くたびに、白い肩が跳ねた。
「ひさしぶりだな」
と高杉は頬をゆるませた。桂を笑ったのではなく、ただ嬉しかった。それは桂にもわかるのか、両膝をそっと寄せて高杉を囲うようにしながら、こくんとうなずいた。
桂の肌のそこここに、待ちかねたような気配がある。
「ねえ、」
と高杉はそれを尋ねた。
「桂さんは?」
濡れた睫毛の先に唇を押しあて、零れる涙を吸った。やわらかな肉が、指を甘く締めつける。
「俺に抱かれるのが好きですか」
桂は一瞬目を見ひらいたが、すぐに顔ごとそれをそむけた。そのやるせなげな表情が、高杉の熱を煽る。
「ねえ」
指の腹で、桂のいちばん弱い場所を押しあげる。ひっ、と細く息を呑んで彼は体をこわばらせ、それから、目をそらしたまま、切なそうにうなずいた。
「じゃあ、待ってたんだ」
空いている手で、額の汗をぬぐってやる。
「したかったですか、俺と」
つかまることも、声をたてることもできずに指の蹂躙に堪えることはよほどつらいのだろう。桂の両眸(め)から、音もなく涙があふれる。その間も簾を抜ける陽射しは二人の肌を灼き、隣の座敷からは酔客と芸者の笑いさざめく声が聞こえていた。わっと笑いの波がおきるたびに、桂の肩が小さくふるえる。
「答えてよ」
ぐるりと中で指を回す。悲鳴が桂の喉をかけ上がり、かたく閉じた唇にさえぎられて、喉奥を苦しげに鳴らした。すすり泣きながら、彼は何度も激しく点頭した。
「助平だねえ」
啄むように口づける。唇を噛みしめている桂の歯の力が、高杉が触れたときだけくったりとゆるむのがわかった。
「俺は本当にへばってたんですよ。それをあんた、」
「……っ」
桂の背がしなる。
「こんなことばかり考えてたんだ」
「し、……」
晋作、と呼ぼうとした唇をあわてて閉じる。その皺のひとつひとつをなぞるように舐めてやった。
「いいよ、声出しても」
なんなら叫んでも。半ば本気で高杉はそう言った。桂が声をこらえるさまが愉しくて我慢していろと言ったが、本当のところは誰に聞かれたところでかまわない。啼かせて、縋らせて、めちゃくちゃにしたかった。そうしてぐったりと眠り込んだ桂の体を、天上の楽士が琴をかき鳴らすようにやさしく撫でて、そっと慈しんで抱きとめながら自分も眠りたい。いちばん酷いことも、いちばんやさしいことも、全部自分が桂にあたえたかった。
(まったく度しがたい)
どうかしていると自分でも思う。だが初めて桂を抱いた日から、その放縦な欲望をどれだけ彼の体にぶつけてもあきたらなかった。求めて、応えられるほどにもっと次の深みを知りたくなった。そうして桂はどこまでも、高杉の身勝手さに――肌をあわせていないときよりもさらに寛容だった。
(殺しちまうのは俺のほうじゃないのか)
そう思いながらしかし、ひとたび服を剥いでしまうと止まらなかった。
桂はまだ唇を噛んでいる。最後までこらえるつもりらしい。
「剛情だねえ」
笑いながら指を引き抜くと、ん、とくぐもった響きが桂の喉をふるわせた。寂しげに、そうして次を期待するように洩らされる溜息。
「もっと、もっと開いてよ」
無邪気をよそおってねだると、桂は目許をうす紅く腫らしながら、両腿を抱えた腕を引いて、さらに脚をひろげる。
「いいねえ。なんだか唇みたいだぜ」
ほら、動いてるけどこれ、何て言ってるんだろう。自身の先端をあてがって、入口をかるくつついてやる。桂になにか言わせたかったが、それを待つほどの辛抱はもはや高杉にはきかず、桂の熱さを感じながら中へ押し入った。
 
根元までおさめきって、高杉は桂の上に倒れこむように、その体を抱きしめた。互いの肌が、汗にぬめっている。あちこちで油蝉が、その名のとおり、油の煮えるような声で啼いていた。
外気の暑さと、情火の奔騰する熱とで、ふれあっている肌は湯気がでそうにあつい。それでも高杉は桂の熱さがなお愛おしく、ぴったりと胸をあわせ、彼の鬢のあたりに頬ずりした。桂は荒い息をつきながら、高杉の下でびくびくと体をふるわせていた。
「桂さん」
と、やはり閉じられたままの口を吸う。舌先で何度もついてやると、おそるおそるといったふうに中へ迎え入れられた。深く舌を絡め、吐息すら奪う。
「そう黙ってられちゃ俺、」
どうしていいかわからないな。彼の唇の上で言った。
「ねえ、何か言ってくださいよ」
「……、」
桂がかすかに口をひらく。
「ねえ」
と高杉は、桂の中をくじるように腰を動かした。
「あ、」
抑えきれずに、桂の唇が妙音をつむぐ。
「晋作……」
その声が聞こえた瞬間、高杉はあやうく気をやりそうになる自分を押しとどめて、するどく息を詰めねばならなかった。
え、という顔で桂が見上げる。高杉はばつ悪く微笑んだ。
「だって、あんた、」
「何……」
「まあいいよ」
隣に聞こえても俺は平気だから。ちゃんと、しようか。言いはぐらして桂の腰をつかみ、大きく揺さぶるような律動を開始した。桂は唇を噛みしめるのはやめたが、それでもごく低く抑えた声を、時折溜息のように洩らし、そうしてそれすら羞ずかしがった。
彼には、わかるだろうか。
何でもいいから何か言ってほしいとねだって、初めに聞いたのが自分の名だった。そのことがひどく嬉しかった。
「桂さん」
おかえしのつもりで呼んでみる。返事のかわりに、彼の中が切なげに締まった。
「桂さん」
桂は先刻いわれたとおりに、自分の両脚を抱えたままで高杉に貫かれていた。汗に濡れた太腿から時折腕が滑り落ちるが、そのたび彼は律儀に抱えなおして、さっきまでよりも大きく脚をひろげる。ただ高杉を受け容れるためだけに、もっと、もっと欲しいと晒けだしてみせる。その痴態とよぶにはあまりに懸命な仕草に、どうしようもなく昂奮した。
(おまけに、この――)
久しぶりに抱いても、やはり桂の体は甘く潤って、美味だった。そのしっとりとやわからくしなるさまは、
(なにか、水に棲む――)
しなやかで美しい生き物を思いうかべて、彼の耳朶にゆるゆると舌を這わせた。
「桂さん、さあ……」
睦みあっているときだけに聞かせる、低い、かすれた声でささやいてやると、彼の内側の柔肉がこまかに波立つ。
「あの鯉だけどねえ」
それは、桂から贈られた見事なあの鯉。美しい鱗を水にかがやかせて、ゆらり、ゆらりと尾を振っていた。
「あれは、病人にはいけませんよ」
「…………」
戸惑った顔で、桂が見上げる。何をいっているものか、まだ彼にはわかるまい。
「あれはね、病人にはちょっとあんまり、毒だぜ」
「食、わなかったのか……?」
「いや、食ったよ。食ったからそういうんです」
高杉は腰の動きを止めて、桂の額に落ちかかった髪をかきあげてやる。桂はくすぐったそうに目をほそめ、やがて不安げに開けて、
「傷んでいたのか」
「とんでもない。ごく活きのいいやつでしたよ。俎板の上の鯉なんていうが、あいつはまだびちびち跳ねて、逃げだそうとしやがったんだって。魚屋がそう言ってましたよ」
「じゃあ……」
「あれはねえ」
高杉は唇を舐めながら笑った。そこもすでに、流れてきた汗の味がしていた。
「あれは、濡れてやわらかくて――生臭くて、」
その触感を思い出して、わずかに顔をしかめる。しかしそれよりも、ぞくりと体の芯をふるわせる記憶があった。ついさっきまでは、そのことは黙っているつもりだったのだが――
「そのくせ身がきゅっとしまってて、なんだか俺は、」
「っ、」
桂が鼻にかかった吐息を洩らす。高杉が不意に動かしたそれが、彼の好きなところをかすめたらしい。
「あんたとのこいつを思い出してさ、」
ぐっと腰をつかってそこを押し上げてやる。桂が白い喉を反らせて、くぐもった呻き声をあげた。
「なんだか悶々としちまって、寝ているどころじゃなくってね。とりあえず食ったはくったが、それから二回も」
ほとんど寝たきりだったってのに、二回もだよ、と桂の耳許でささやく。高杉を包んでいる肉が、もだえるようにうねった。
「自分で――さ、あんたのこと考えながら……あんたのここのこと」
ほら、と突いてやる。桂の体が揺れる。二度、三度と繰り返して、彼は翻弄されるかにみえたが、
「こ、の馬鹿、」
ふるえながら小さく叫んだ。
「ど……して、おとなしく寝、てないんだ……っ」
「どうしても何も、そんな状態で寝られるものかどうか、あんたも男ならわかるでしょう」
俺本当にもう大変だったんだよ。ひとりでこんなふうになってさ。ことさら自身の怒張を示すように奥を嬲ってやる。むせび泣くような声を、桂は洩らした。
「ねえ、それであんたは……?」
ねっとりと耳朶をねぶる。首のあたりに受ける桂の息が熱い。
「な、にが……」
「あんたは、しないの?」
「何……」
「俺のこと――俺のこいつを思い出して。しないの?」
緩く、また強く、内壁を擦ってやる。桂は息も絶えだえといった風情で、それでも弱々しくかぶりを振った。
「し、てな……、」
「まさか」
きつく奥を突いた。桂の背が跳ねる。
「それはないだろ、こんな体であんた、」
堪えられるのかよ、とまた揺すりあげる。なんだか業腹でもあった。自分は、われながら衰えたと思う病躯を駆って、あのときあんな痴戯に耽ってしまった、あれはもとはといえば桂のせいではないか。だいたい、鯉なんぞ嫌いなのだ。
いつもより快感の鈍くなった体でそれでも精を吐き、泥のように疲れて、もうこのまま死んでしまえと思うほど虚しかった。桂の体は、桂とのその時間は、そんなくだらぬ追想をすればするほど自分から遠のいて、高杉はひどくくたびれた体でそのことに焦燥を感じた。
桂も、そういう思いをしてみればいいのだ。
――が。
「す……るか、そんなこと、」
と、小憎らしく彼はいう。
なんだよ、といよいよ手酷く犯してやろうとしたとき、
「……び、じゃ……、……ない……」
かすかな声でつぶやいた。それが聞きとれなかった高杉が
「は?」
と唇に耳を寄せると、
「指なんかじゃ、達けない……」
今度はややはっきりとそう言った。
「晋作……」
ねだるように彼の肉が絡みつく。
「ちょっと、待って……」
今度は高杉のほうが狼狽した。なにかいおうとしたが、それより先に桂が、
「あ……」
甘い苦痛を美しい眉宇のあいだにうかべて訴えた。
「そんなに大きくしたら、苦しい……」
「俺のせいかよ」
高杉は舌打ちした。
 
腰を打ちつけるたびに、桂の中は高杉を粘膜のさらに奥へ飲み込もうとするように蠢いた。背が大きくしなり、時折全身がひきつるような動きをみせる。
限界が近いのはあきらかだった。
しかし桂はそのまま昇りつめようとして容易に達せず、沸点ぎりぎりまで駆けのぼっては滑り落ちるのを、何度も繰り返していた。そのようすがひどく苦しそうだった。
「なんで、」
高杉もどうにか解放してやりたいと思うのだが、いつもどおりに、否それ以上に強く丹念に彼の好きな場所を、彼の好きな角度で責めてやっているのに、どうしても桂は最後の瞬間を迎えられない。なんだって今日にかぎって、と思ったとき、ふと桂の表情に気がついた。
(ああ、)
なるほど、と高杉は苦笑した。本当にもういよいよ忘我のときが訪れようかという瞬間、桂はきまってはっと何かに肩を叩かれたようにして常の表情にもどる。そうしてあわてて唇を噛みしめる。
「桂さん……声、」
そっと指先で、その唇にふれる。
「まだ気にしてんだ」
だから、達けないんでしょう。そう言うと、桂は羞じらうように眼をふせた。
「いいじゃないですか、もう、どうでも」
ぐっと桂の弱い場所にあててねじ上げてやる。桂は眼を閉じ、唇を白くなるほどきつく噛んだ。
「そのままじゃ苦しいよ」
口づけてやると、彼の中がしゃくり上げるように攣える。
「ほら、もう……」
それでも桂はどうにか声を呑もうとする。彼自身にも、もうどうにもならないのかもしれなかった。がくがくと体をふるわせながら、奔出できない熱に苛まれて、とめどなく涙を流している。今の彼は、なにやらこの世でいちばん気の毒なように思われた。
が、高杉は高杉で、そろそろもたない。桂の緊張――声を出してはならないという――がほぐれるまで待ってやる余裕はなかった。
「じゃあ、ほら……わかったから」
彼はとっさに手を伸ばし、畳の上に落ちていた手拭いを拾った。もともと高杉が懐に入れていたそれは、桂を抱いているうちに前が乱れてこぼれ落ちたのだった。癇性なところのある高杉はそれを丁寧に畳んではいたが、今日ここへ来るまでの間に何度も首筋の汗をぬぐったそれは、あまり清潔なものではなかった。
しかし高杉はそれをひっつかむと、ぐしゃりと丸めて桂の口に突っ込んだ。ん、と桂が一瞬、愕いたような声を洩らす。が、抵抗はなく、高杉が手を離しても、おとなしく手拭いを銜えたままになっていた。
「ほら、これで大丈夫だから」
彼の鼻先には、高杉の汗のにおいが漂っているだろうか。
桂の中がはげしく締まる。
さっきのように揺すりあげてやると、手拭いの奥でくぐもった声をあげ、まもなく達した。彼の全身の肉が甘くうちふるえるのを感じながら、高杉もまた、桂の中に放っていた。
 
ひとつになっていた体をふたたび二つにひき剥がしても、桂は抱かれたときの姿勢のまま、濃い倦怠をまとって首を横にかたむけ、ぼんやりと畳に目を落としていた。
「桂さん」
と、ようよう息をととえのた高杉が、彼のほうへ手をのばす。
「もういいんだよ」
桂はとうとう最後まで、高杉にいわれたとおりに、自分の脚を自分で抱えて開き、高杉と交わった。自ら求めるようなその格好で、口には手拭いを押し込まれたまま快楽に身を委ねている彼の姿は、高杉をひどく昂ぶらせた。手拭いを銜えさせてから桂が達するまではどれほどの時間もなかったが、そのわずかな間に桂がみせた嬌態は、ちょっと言葉にしがたいほどのものがあった。
「爪が、」
と、まだ脚を抱えたままでいる桂の手を捕らえ、そっとのけてやる。白い太腿にくっきりと爪痕がつき、うすく血が滲んでいた。
「そっちも、いいんだよ、もう」
口許を顎でしゃくっている。桂は上気した顔をゆるゆると高杉に向け、それから今言われたことがわかったのか手を口へもっていったが、いかにも脱力したといった風情のその指先は、唇にわずかにふれただけで、あとは力なく下に落ちた。
「ああ、こんなになって」
高杉は桂の太腿の傷を指でなぞった。
「風呂で誰かに気づかれたらどうするんだよ」
口づけて、獣が傷を癒すように舌を這わせる。桂の汗の味にまじって、かすかな血のにおいがした。
「っん……」
手当てとはあきらかにちがう舌遣いに、桂が切なげに体をこわばらせる。
(まだ、いけるかな)
と高杉は彼の両脚のつけ根に目をやった。そこが完全に萎えていないことに、さっきから気がついている。
彼がたまらなくなるように、甘くやわやわと内股を噛んでやると、びくりと腰が跳ね、爪先が畳を掻いた。
「あ……」
桂の声は、手拭いに遮られてよく聞こえない。おもわず驚いたつぶやきを洩らしたのは、高杉のほうだった。
(俺の……)
桂が身をふるわせた拍子に、高杉が放ったものが、最前まで苛んでいた場所からとろりと溢れだしていた。真昼の光にぬらぬらと淫猥にかがやきながら、それはゆっくりと流れ落ちた。吸い寄せられるように、高杉は手をやった。
「桂さん、」
ほら、と指先にからめたそれを、桂に見せつける。
「だめだよ、こぼしちゃ」
ふたたび沸き起こる情欲を、彼をなぐさむ笑いにかえて、
「病み上がりの俺がせっかく、あげたのに」
もったいないだろ。そう言うと、桂は陶然とした表情のまま、のろのろと手をそこへもっていった。
彼は、高杉の言葉は聞こえはしたが、おそらく意識は虚ろなままなのだろう。ただ叱られたと思ったのか、そしてその内容だけは理解したのか、自分の体から溢れたそれを、ふるえる指先で掬いとろうとした。
そうして、もとの場所へ戻そうとする。それでもすぐに指のあいだから零れてしまうそれに、かなしげに眉を曇らせた。
およそ常の彼ではない、痴愚にも似たその一連の仕草に、高杉はかっと胃が灼けるほどの昂奮をおぼえた。ものもいわず彼の片脚をつかみ、自分の肩へ抱えあげると、濡れてかすかにわなないているそこから、桂の体をひと息に奥まで穿った。
手拭いの奥で、桂が悲鳴をあげる。しかしそこに苦痛の色はなかった。
 
すでに一度放ったおかげで、切迫感はすくない。蕩けるような快感の強さにも似ず、高杉は長く桂を味わった。
手拭いをくわえ込んだままの桂があげる声は、くぐもって鼻にかかっている。それはひどく甘く艶やかで、彼を貪る高杉の欲をさらに駆りたてた。
(まァ、しかし)
と高杉は、自分の下で汗に濡れながら、与えられる熱に激しく応えている桂を見つめた。
(すげぇ眺めだなあ)
桂の髷はすでにくずれ、乱れた髪が、汗で顔に貼りついている。高杉に揺さぶられて、あとからあとから吹きでるその汗と、きつく閉じて、しかし時折ぼんやりと開けられる眼のはしからこぼれ落ちる涙、さらには飲みきれなかった唾液とで、紅潮した彼の顔はぐしゃぐしゃになっていた。いつも端正な顔に涼しげな微笑を泛べている桂が、口には乱暴に手拭いを突っ込まれ、男に犯されて、その悦びに身も世もなく乱れている。眩暈がするほどの光景だった。
(おまけに、これ)
高杉は桂の口から出ている手拭いの端をちょっと突いた。首にしがみついている桂の指先がびくりと慄え、彼の中が高杉をひき搾るようにうねる。く、と息を詰めながら、
「なあ、これ」
と高杉は言った。
「あってもなくても同じじゃねえかなあ」
桂は虚ろに目をあけた。頭の中がほとんど朧になっているであろう彼にわかるかどうかあやしいが、ただ高杉は、自分の快楽を追うためにつぶやいてみる。
「いまさら声なんか塞いだって、こっちがさ、」
ほら、とぐっと奥を突く。桂が白い喉を反らせた。
「こんなに音がしてやがる」
これ、聞こえるだろう。桂の耳許に囁いてやる。返事をしたのか、ただその感覚がたまらなかったのか、桂の喉がすすり泣くような呻きを洩らした。
その間も、繋がっている部分からは、濡れた粘膜がはげしく擦られる音と、互いの肉が拍ちあう音が、いかにも淫靡に響いていた。後者はひょっとして、隣で聞き耳を立てられれば聞こえぬものでもあるまい。そのことを、なるべく淫らな言葉で桂に伝えてやると、彼はぎゅっと眼をとじて首を横に振り、しかし両脚を高杉の背に絡めて、自分から腰を振った。
「すげえ……あんた、締まって……」
そのままもっていかれそうな感覚に、たまらず高杉はつぶやいた。桂の両脚が、逃がすまいとするように背を縛めてくる。
「気持いいんだ……?」
そのとき、桂は頷いたのかどうか。ただ、熱く濡れそぼった彼の肉が、辱められたことを悦ぶように妖しく蠕動した。
 
ぐったりと寝そべっている桂の横で、高杉は匙にすくった粥をふうふう吹いていた。
「俺はね、約束は守るんですよ」
桂の中で再度果てたあと、彼は簡単に身仕舞いすると、帳場へ降りていった。そこで粥を頼んだのである。連れの腹具合が悪いだとか、自分でもよく覚えていないがとにかくいい加減なことを言った。そうして連れは寝ているから、炊きあがったら部屋の外に置いてちょっと声をかけてくれればいいと巧みに説いた。女中はべつにうたがわなかった。
それでついさっき出来上がってきた粥を、いま高杉はすすっているのである。
ちゃんと養生して政務に復帰するかわりにといって桂を好きにした以上、粥のひと椀くらいは食ってやらねばなるまい。そう思っての善行だったが、実際、腹が空いてもいた。
「やっぱり、昼間っからあんなことをするとくたびれるねえ」
首の汗をぬぐいながら笑った。
「あんたのその体じゃ、つい過ごしちまうもんだから」
言うと桂はふんと鼻で笑い、
「お前、それ、全部食えよ」
高杉の前にある土鍋を顎で指した。
「桂さんは」
「いらん」
気だるげに、腹のあたりに掛けた襦袢を抑えながら寝返りをうつ。
「これ、全部は多くねえかなあ」
椀にまだ半分ほどを残したまま、高杉は首を伸ばして土鍋のなかを覗きこむ。食べられない量ではないが、まともに食事を摂るのはひさしぶりである。
が、
「じゃあ、まあ、全部食うとしてさ、」
桂の裸の肩に触れた。
「ねえ、全部食って、一服したら……」
胸へ滑らせた手は、桂に払いのけられた。
「あんまり甘ったれるなよ」
かすれた声でいう桂の唇が、いつもより紅く、腫れぼったい。白い首にも胸にも、高杉がつけた無数の痕があった。その痕の下で、桂はまだだるそうに呼吸をしている。これからもう一度となると相当辛いだろう。高杉も病み上がりの体にひどく疲労をおぼえている。しかし――……
「甘えてるんじゃなくて、つけこんでるんだよ」
にっと頬をゆがめて、桂の瞼に口づける。
「あんたは病人の頼みには弱いでしょう」
 「馬鹿をいえ」
 桂の掌が、高杉の額をかるく打った。
「もう病人じゃないって、さっきお前が自分で言ったんじゃないか」
「それはね、」
最後のひと口を咀嚼しながら、空になった椀に、土鍋からもう一杯よそう。本当に全部平らげてやろうと思った。
「それは風邪と暑気中りの話ですよ」
と、椀を置いて、
「こっちはあんた、四百四病の外というやつでね」
桂の口を吸った。桂はべつに抵抗しなかったが、高杉の唇が離れると、
「……とんだ業病だな」
つくづく呆れたという顔をした。
「まったく、ねえ」
彼の鬢の毛をかきわけてやりながら、高杉もまた、自分を憐れんでやりたい気になった。彼は少しも惨めではなかったが、ただすこし、寂しかった。
「あんたも罹っちまえばいいんですよ。お互い寝込じまえば面倒がなくていいや」
「なにが面倒がないんだ」
「罹ればわかるよ」
「いやなこった」
しかしそう言いながら桂は、逃れもせずに高杉に肩を抱かれ、ふたたびその唇を彼にあずけた。
隣からは、三味の音も人の声もしない。客はもう帰ったのかもしれなかった。蝉の声が遠くに近くに入り交うなかを、物売りがゆっくりと呼ばわって行く。
日はまだ高い。
互いの肌が放つ体熱さえむっと暑く感じるが、高杉は桂から離れず、桂もまたどけとはいわなかった。ふと窓を見上げると、粥の椀からたちのぼる湯気の向こうに、木々の梢がむくむくと黒いほどの緑を天にむかって突きあげている。その葉がつくるおなじ影に桂と濡れながら、ああまだ夏は終わらないなと高杉は思った。

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【2012/08/20 00:09 】 | よみもの
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